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地球温暖化研究と植物生態学

Updated on 1999-10-18


1996年のはじめごろに書いた文章を発掘しました。

当時、私は地球温暖化関連の研究をする部署にいました。 そこでの日々のなかで、社会、行政、他分野の研究者が植物生態学者に期待する ことと、現実に可能なこととのギャップを感じることが多々ありました。

具体的にどのようなギャップがあるのか、それはどのように埋めることが できるか、あるいは埋められないのかを整理してみたのがこの文章です。

3年半たった今読んでも、私の基本的な考えかたは変わっていないよう です。というわけで、文章に多少手を入れましたが、ほぼそのままの形で web page上で公開することにしました。


1996年2月

温暖化研究に関して 陸上植物の生態学に期待されていることはいろいろあるが、 おもなものは以下の4点であろう。

  1. 陸上生態系の炭素現存量とフラックスを充分な精度で定量的に求めること。
  2. 環境の変化にともなう炭素現存量とフラックスの変化を定量的に予測すること。
  3. 環境の変化にともなう植生帯の分布の変化を予測すること。
  4. 環境の変化にともなう個別の種の消長を予測すること。

これらの課題は陸上植物の分野における温暖化研究の“本筋”に違いないが、 期待されているような精度で答えを出すことは、 正直なところ5年や10年では 無理だと考える。1から4それぞれについてその難しさをまとめてみる。


1.炭素現存量とフラックスの定量化

いわゆるmissing sink(*) は、陸上生態系のCO2フラックスの 1%以下の増減に対応する。 いっぽう、炭素量の見積もりは、調査地点の真値 と比べて数10%の誤差を含む推定しかできないし、 調査できる地点はきわめ て限られる。 本質的に不均一で、空気や水のようには混ざってくれない陸上の 植物と土壌を相手に、 大気や海洋と同等レベルの精度の数値データを出すこと は本質的に困難である。

*mssing sink

人間の二酸化炭素放出速度に比べて、大気中の二酸化炭素濃度の上昇がゆっくり で、 その差は海洋ないしは陸上生態系に行っているだろうと考えられている。 けれども、海と陸の二酸化炭素吸収速度の現在の見積もりは、放出速度と 濃度上昇速度の違いを説明するには小さすぎる。はて、二酸化炭素はどこに 行ってるのか? その謎の行き先がmissing sinkである。まったく未知の炭素の 行き場所があるのではなくて、既知の行き場所の吸収量の見積もりの問題と 考えられている。

2.炭素現存量とフラックスの変動の予測

植物のCO2曝露実験は、大気中のCO2濃度の上昇に対応した植物の反応を予測する 出発点になると考えられており、 これまで1500本余りの論文で報告されている という。 けれども、生態系レベルでなにが起こるか説得力のある結論はでてい ない。 そもそも、葉のレベルの反応から個体全体の反応を演繹すること、 さらに群落、生態系レベルの反応を演繹することは、植物の生理・生態の分野でも 基本的な問題であり、 学問的に取り組む価値のひじょうに大きい課題であるが、 その困難さゆえ、いまだ発展途上、ないしはそれ以前の段階にとどまっている。 たとえば、ごく単純な体制の植物を材料にして葉レベルの光合成から個体の生産を 見積もったとして、 数10%の誤差で合っていれば上出来だろう。 このようなスケーリングアップががきちんとできるようになれば、 学問的にも革命的な進歩と言うべきものである。そのような課題にチャレンジ しつつある研究者も少なくないが、 数年のうちにいわゆる温暖化研究とし ての答えを出すことは無理であろう。

3.植生帯の移動の予測

現状の植生を平行移動して将来予測とすることは容易 である。 しかし、ほんとに平行移動するか、可能な移動速度はどのぐらいか、 平衡に達するまでなにが起こるか、 といった問題の解明のためには、種の分布 の決定要因や分散プロセスに関するメカニズム研究が必要である。 けれども、 個々の種の分布がどのように決まっているかという問題は、 生態学の基本的な 問題のひとつであるにもかかわらず、 きちんとした答えはでていない。生態学 の重要課題として、 これからも中心的な課題として研究されつづけるような課 題である。 そのような現状であるから、当然、気候が変わったら云々という設 問に対しても、 本質的には平行移動による見積もりを越える答えは出せていな いし、5年、10年のうちに出せるものでもない。

4.種の消長の予測

 ある種はきわめてありふれているのに、 ある種はきわめて まれであるのはなぜか、 ある場所に共存可能な種の数と具体的なメンバーはど のように決まっているか、 といった問題は、これまた生態学の中心的な課題の ひとつであり、 多くの研究者が関心を持っている。いわゆる“生物多様性”の 問題である。 しかし、この課題についてもさまざまな仮説が提出されている 段階である。 そのような学問の現状では、温度が何度あがったらどの種がどうなる、 あるいは種多様性がどうなる、というような予測をしてみてもその信頼性は低い。


結論として、 温暖化研究の“本筋”は、いずれも生態学の中心課題、それも解決 が容易ではない課題と密接にかかわっている。 行政レベルで要求されている 答えを、期待されるだけの精度で、 5年、10年のうちに出すことは無理であろう。

それでもあえて本筋の研究をすることには、

  1. 温暖化対策に取り組んでいるという姿勢を示す
  2. これを機会に関連分野の研究を進め、学問的な地力をつける

といった意味があるだろう。 そのとき、1としての側面ばかりを重視し、いま すぐにも答えが出るようなフリをして研究計画をたて、 話し半分であることを 承知で対外的な作文をしても、 それは当座のとりつくろいであって、環境問題 にも科学にも本質的な貢献はできない。

いっぽう、2の側面の価値を認め、学問として本質的、基本的ではあるものの 困難がおおきい分野での地力をつけることができれば、それは将来的に生きる 場面も出てくるに違いないと信ずる。当面は役にたたないから植物の研究は いらないということで切り捨ててしまえば、いつになっても役にたたないまま である。


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