このモデルを使って,気候の変動に応じて植生の分布が移動するようすを シミュレートしてみます.まず,種類ごとに好きな温度環境が決まっている とします.一番好きな環境を中心に,ある範囲では種子をつけることができる, ただし最適なところから離れるほど生産される種子の数は減っていく,ある程度 以上離れたところでは繁殖力がゼロ,とします.
適応可能な温度の幅は広く設定したり,狭く設定したりできます. また,同じ種類の木でも,遺伝的に暖かいのが好きな個体,涼しいのが 好きな個体,といったばらつきがある場合も考えてみます.
遺伝的なばらつきがある場合,温度依存性は1組みの遺伝子で決めます. 遺伝子は0から100までの種類があります.ある木の一番好きな温度条件は, その木が持っている1組み(つまり2つ)の遺伝子の種類の平均値で決まります. 種子は,種子をつけている木の2つの遺伝子のうちのひとつと,花粉を送ってきた 木の2つの遺伝子のうちのひとつ,あわせて2つ(1組)の遺伝子を受け継ぎます.
100マス×1000マスの長方形の森林を考えます.長い辺にそって暖かさの 勾配があるとします.ここに,涼しいのが好きな種(緑),暖かいのが好きな種(青), 中間の種(赤)の3種類を均一に混ぜて植えます.
この状態で500年間,確率的に木が死んで,そのあとを周囲の木から飛んできた 種子のうちのひとつが発芽して埋める,というプロセスを続けます. 木の死亡率は年2%,ただし最大の寿命は100年で,25年目から種子をつけはじめる とします.すると,樹種ごとの性質の違いを反映して,きれいに分布が分かれます.
この状態から,温度環境を変化させます. 水平方向に300マス分ずれたのに相当する温暖化が,100年かかって起こるとします. 種ごとの適応温度範囲が狭くて,種内の遺伝的な変異もない場合, 温暖化によって,もともと居た場所ではもはや種子を作れないという 木々がでてきます.木の最大寿命は100年としているので,100年以内に それらの木は消えてしまいます. いっぽう,温暖化したことでその場所に生育できるようになった 種類の木がたちまちその空き地を埋めるかというと,そうはいきません. 種子が飛んで,木が成長して,またその木から種子が飛んで, というプロセスを繰り返しながら徐々に空き地に侵入していきます. その結果,樹種の分布域のあいだに,一時的に空白地帯ができてしまいます. 下の絵は,温暖化が始まってから600年後(温度が上がりきってから500年後) の状態です.
この空白地帯は徐々に埋まっていきます.下は,温暖化が始まってから1200年後の 様子です.
この間の樹種ごとの分布可能域(破線)と,実際の分布域(実線)を 下の図に示します.
次に,各樹種のなかで,好みの温度に遺伝的なばらつきがある場合を考えます. 樹種全体としての分布可能範囲は広くなります. すると,上の場合のような一時的な空白地帯はできなくなります. 下は温暖化開始から600年後のようすです.
そして,こちらが1200年後です.
樹種ごとの分布可能域(破線)と,実際の分布域(実線)を書いてみると, 遺伝的ばらつきがない場合とくらべて,600年後と1200年後の変化が少ない ように見えます.
下の図には,一番暖かい環境が好きな青い種類だけとりだして, その分布域の動きを示しました.たしかに遺伝的なばらつきがない場合(上) よりも,ばらつきがある場合(下)のほうが,分布域の移動速度が遅くなって います.
遺伝的ばらつきがあって適応可能温度範囲が広い場合には, 温暖化しても先住者がさっさとどいてくれません.繁殖力が 落ちるとはいえ,なおも種子をまわりに播きつづけます. その場所が一番得意な樹種であっても,あたらしい個体が 生えられるのは,たまたまどれかの木が死んでできたマス目だけです. そして,そこには先住者の種子もたくさん飛んでくるので,そうそう簡単 に分布を拡大できないのです.
つまり,実現されている樹種ごとの分布域にくらべて潜在的な 分布可能範囲が広く,樹種間の競争関係の結果として分布可能域が 狭められている場合には,環境が少々変化しても,旧来の分布域での 生存が可能になります.そのような居座り樹種の存在が,分布域の 移動を大きく遅らせることになります.