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連載 植物の不思議な当たり前 第9回

当たり前ではないクローン羊と当たり前のクローン桜

この文章は, 公益社団法人日本アロマ環境協会(AEAJ)の機関誌(AEAJ)の原稿として 執筆したものです。印刷物にこのまま掲載されるとは限りません。

updated on 2014-05-01

「世の中にたえてさくらのなかりせば春の心はのどけからまし」という歌を詠んだとき、在原業平の眼前で咲いていた、あるいは頭の中でイメージしていたのは、私たちがよく見る桜とはちょっと違うちがうもののはずです。現在、桜並木などにもっとも多く植えられているのは染井吉野(ソメイヨシノ)です(写真1)。ソメイヨシノは、江戸の末から明治のはじめごろに育成された品種です。平安時代の歌人がソメイヨシノを見るには、1,000年も待たないといけません。業平が見たのは、花と同時に葉も広がりはじめるヤマザクラの仲間だったでしょうか(写真2)。

写真1  咲き始めたソメイヨシノ

写真2  ヤマザクラの花。葉も同時に広がりはじめている。
日本中にいったい何本あるのか見当もつかないソメイヨシノですが、これらはみな遺伝的には同じもの、すわわちクローンです。挿し木や接ぎ木(他の種類の丈夫な苗を根元近くで切ったうえで割れ目を入れ、増やしたい木の枝を挿しこんで育てる方法)で増やしたものです。見た目は別の木であっても、遺伝子に注目してみれば、日本中のソメイヨシノはみな一本の木の枝だと言ってもよいものです。

野生の植物は、同じ種類であっても少しずつ違う遺伝子を持っているので、花が咲く時期も、花の色合いも少しずつ違うのがふつうです。けれども、みな同じ遺伝子っを持っているソメイヨシノの並木は一斉に花を咲かせ、一斉に散っていきます。もちろん、環境が違えば花の咲き方は変わります。春、桜の開花前線がしだいに北上していくのは、南北の気温差という環境の違いを反映したものです。

動物の場合、体の一部を切り取って親と同じ性質の新しい個体を作り出すなどということはとても困難です。細胞分裂を始めたばかりの受精卵をばらばらにして、それぞれを育てるという技術は100年以上前からありました。けれども、この方法はいわば人工的に一卵性の双子や三つ子を作っているだけです。子供同士は同じ遺伝子を持っていますが、親と同じというわけにはいきません。

親の体の細胞から遺伝子が入った核を取り出し、これを受精していない卵の中に入れて育てるという技術は、半世紀ほど前にカエルで成功しました。これなら、生まれてくる子供は親とまったく同じ遺伝子を持っています。哺乳類での最初の成功例は羊でした。1996年に産まれたドリーという名前のクローン羊は、まだ記憶にあるかもしれません。発表されたときはずいぶん話題になりました。羊でできるなら将来は人間のクローンもできるのではないか、それは倫理的に許されるのか、といった議論が盛り上がりました。

一回成功しただけで世界の話題になる動物と較べてみると、植物でいとも簡単にクローンが作れてしまうのは、当たり前のようでいて実は特別なこととも思えます。動物に例えると指一本からまるごとの個体が育ってくるようなことを、植物ではやすやすとやってのけるのです。

ここで話は変わって、生き物の大きさ比べをしてみます。現存する動物で一番大きなものはシロナガスクジラで、体長が30メートル以上にもなります。ただしクラゲの中には触手が50メートルに及ぶものがあるらしいのですが、大きさ比べにエントリーするのに、ひらひらの触手を含めて測るのはちょっと反則かもしれません。

植物はというと、北アメリカのレッドウッド国立公園では、高さが100メートル近い木々を見ることができますし、日本でも高さ50メートル以上のスギの巨木が知られています。横の広がりはどうでしょうか。地上部を見ているだけだと、たくさんの個体が生えているように見えていても、じつは地中でつながっているという植物はめずらしくありません。竹は身近な例です(写真3)。枝分かれしながら広がった地下茎から伸び出した一本一本の竹は、いわば横倒しになった一本の木の、枝のようなものです。

写真3  竹林。これらはすべて一個体かもしれない。

とはいえ、地面から上を見ているだけでは、どれがどうつながっているか分かりません。掘り返してたどるのは大変ですし、地下茎が枯れて腐って消えてしまえば、たどることはできません。そこで手がかりになるのが遺伝子です。遺伝子の実体であるDNAを調べることで親子関係の鑑定や個人の特定ができることは知られています。これは人間に限りませんし、動物でも植物でも同様のことができます。

これまでに調べられた中では、林の中のササ(写真4)で、少なくとも300メートルも離れたところまで同じ遺伝子を持った株が広がっていた例が知られています。長さ300メートル以上の個体というわけです。クジラはもちろんクラゲの触手もかないませんし、高さ100メートルの木も大きく凌ぎます。

写真4  地面をおおうササ。これも一個体かも。

最後にもう一度ソメイヨシノに戻りましょう。つながっているかどうかを気にせず、同じ遺伝子を持つクローンをひとまとめにして考えるなら、人間の手で創りだされ、複製され、運ばれ、植えられたソメイヨシノは、北海道から奄美大島まで広がっていますし、北アメリカにも植えられています。つまり、一万キロを隔てたところで、もとはと言えば同じ木の枝がそれぞれに根を張り花を咲かせていることになります。なんだかすごい話ですが、これは植物がすごいというより、人間のやることがすごいと言ったほうがよいですね。次のお花見の機会には、日本中、そして太平洋を越えて広がるソメイヨシノの分身たちに思いを馳せるのも一興かもしれません。


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