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連載 植物の不思議な当たり前 第12回 (最終回)

花はどこへ行った

この文章は, 公益社団法人日本アロマ環境協会(AEAJ)の機関誌(AEAJ)の原稿として 執筆したものです。印刷物にこのまま掲載されるとは限りません。

updated on 2015-02-24

「花はどこへ行った」という古いフォークソングをご存知でしょうか。昔咲いていたあの花はどこへ行ったのかという繰り返しから始まります。花は娘たちに摘まれ、娘たちは若い男たちのもとに行くのですが、今回のテーマは若い男女の行方ではなく、どこへ行ったのか探してしまうような目立たない花です。たとえば写真1はホウレンソウの花ですが、いったいどこがどう花なのか、という感じですね。これを花瓶に挿して飾る人は少ないでしょう。こんな花について考えてみます。

写真1 ホウレンソウの花

花は人に喜んでもらうために咲いているわけではありません。種を作り、次世代を残すための器官です。雄しべの先の花粉が、雌しべの先端につくと種ができます。花粉を作る立場からは、なるべく多くの花の雌しべに花粉を届けることができれば、あちこちに自分の子孫が生まれることになります。また、種を作る立場からは、同じ花の雄しべの花粉をもらうと近親交配で弱い性質の種ができてしまうので、離れたところの、別の株の花粉をもらいたいところです。

植物は、動物のように交配相手のところに出かけていくことができません。そこで、あの手、この手で花粉を届けます。ひとつの手は、昆虫や鳥などの動物を利用することです。人間がぱっと見て気付くような花らしい花は、蜜などのごちそうを用意して、それを目当てに訪れた昆虫や鳥に花粉を運んでもらっています。写真2は、ノイバラという野生のバラにアブの仲間が来たところです。せっかくごちそうを用意しても昆虫や鳥が気づいてくれないのでは意味がありません。宣伝が必要です。それが葉とは異なる色や形をした花だったり、香りであったりします。植物は、花はおみやげを用意する経費に加え、宣伝費もかけて花粉を運んでもらいます。緑のなかに白い花、赤い花があれば遠くからでも目立ちます。余談ですが、紅一点という言葉は古い中国の詩の一節で、緑の葉の茂みのなかに、赤い花がひとつ咲いている様子を表しています。

写真2 ノイバラの花。ハナアブが来ている

昆虫や鳥などに来てもらう必要がない植物は、おみやげを用意しませんし、宣伝費もかけません。それらは無駄な出費です。そんな植物が咲かせる花が目立たないのは、まったく不思議なことではありません。たとえば、風に花粉を運んでもらう植物は地味な花を咲かせます。最初に紹介したホウレンソウの花はその例です。また、イネの仲間はみな風まかせですし、マツやスギなどの針葉樹もそうです(写真3)。風任せの植物が派手な花びらを作ったら、そのほうがよほど不思議です。

写真3 スギの地味な雄花から花粉が派手に舞い飛ぶ

最初から他の花と花粉のやりとりをする気がない花もあります。ひとつの花のなかで、雄しべの花粉が、虫などの助けをかりずに雌しべについて種が作られるのです。そのような花も、外にむかって宣伝する必要がありません。そもそも開くことなく、花の中ですべてが済んでしまうのです。これまた目立たない花となることに、なんの不思議もありません。そのような、咲かない花は閉鎖花と呼ばれます。写真4はセンボンヤリというキクの仲間です。春には普通に花を咲かせるのですが、秋にもう一度つぼみができて、いつ咲くか、いつ咲くかと思っていると、咲かないうちに種ができてしまいます。そのほかスミレの仲間や、ホウセンカに近縁なツリフネソウの仲間、マメの仲間などにもごく地味な閉鎖花を作る種類があります。

写真4 センボンヤリの閉鎖花

昆虫や鳥を呼びこもうと宣伝している花の中には、花自体はじつは地味だというものもあります。ブーゲンビリアは、赤やピンク、白などさまざまな色のものがありますが、この目立つ部分は花の下の葉が色づいたもので、苞(ほう)と呼ばれます。本当の花は、苞にかこまれた小さなものです(写真5)。苞が看板になっている植物はほかにもいろいろあります。ミズバショウの白い部分も苞ですし、ポインセチアの赤や白も苞です。植物にとってだいじなのは花粉を運ぶ虫や鳥に花を見つけてもらうことであり、花が目立とうと周囲の葉が目立とうと、機能は同じことです。  

写真5 ピンクの苞にかこまれたブーゲンビリアの白い花

ついでに、目立たない花とは反対に多くの花びらが重なったゴージャスな八重咲きの花についても触れましょう。ツバキやサクラも八重のものがありますし、バラはあらためて八重ということを意識しないほど、かならず多くの花びらが重なって咲いているイメージがあります(写真6)。ですが、これらは人が創りだした園芸品種です。自然界では八重の花はまず見られません。八重咲きの花の花びらは雄しべや雌しべが花びらに姿を変えたものが多いのです。肝心の雄しべや雌しべが少なくなる、あるいはなくなってしまうと、種を作るという花本来の役割が果たせません。バラも、野生の種類は写真2のノイバラのように一重の花を咲かせます。八重の花は自然にはまず存在しない不思議な花です。また、昆虫や鳥への宣伝のコストパフォーマンスという意味でも、多くの園芸品種の花は宣伝費をかけすぎ、自然界では採算がとれない花です。

写真6 バラの園芸品種。多くの花びらが重なる八重咲きの花を咲かせる。

最後に「花はどこへ行った」の歌の続きをご紹介します。花を摘んだ娘たちが若い男たちのもとへ行ったあと、彼らは戦場に行きます。そして若者たちは命を落として墓地に葬られ、墓地は花におおわれます。花はどこへ行ったのか、皆いつになったら気付くのか、と繰り返して歌は終わります。戦争の犠牲者をおおって咲く花をだれも見ることのない明日を願いつつこの連載を閉じます。3年間、お付き合いありがとうございました。


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