| Top Page | 植物生態学 |

この文章は, 国立環境研究所 発行の国立環境研ニュースに掲載する記事の原稿として執筆しました. (20 June 2002)

(追記) その後,国立環境研究所には環境の経済評価を専門とする部門もあり, 生物分野の研究者の原稿で生態系サービスの経済評価にまで 踏み込むのは適切ではなかろう,この部分は稿を改め, 専門の研究者による,最先端の研究状況を踏まえた記事とするのが よかろうとの判断がありました. これを受けて, 経済評価に関する部分を削った改訂版 をニュースの原稿として使うこととなりました. (8 July 2002)


生態系の恵みを評価する − 生態系機能と生態系サービス

生物は環境と相互作用しながら生きています.周囲とまったく無関係に生きている 生物はいません.生態系のなかでは,生物と環境とのあいだでさまざまな相互作用 が営まれています.植物は太陽からの光を受け,空気中の二酸化炭素を吸収して 有機物を作り,土のなかの水や栄養を吸い上げ,多くの水を大気に返し,枯葉や 枯れ枝を落として土壌を作ります.動物はほかの動物や植物を食べ,排泄物を 出します.微生物は動物の遺体や排泄物,植物の枯葉や枯れ枝などの有機物を 分解します.個々の生き物の作用は小さくても,それがまとまれば環境に大きな 影響を与えます.生態系の中での生物と環境との相互作用をまとめて,生態系の 働きとして捉えることができます.これを生態系機能と呼びます.

ところで,人類は地球上の自然環境のなかで進化してきましたし,そのなかで社会を 発達させてきました.現在の自然環境が突然なくなってしまったり,大きく変化して しまったら,たいへん困ったことになります.人間が現在の生活を維持していく ために,生態系が果たしているさまざまな機能はなくてはならないものです. 生態系の機能のうち,とくに人間がその恩恵に浴しているものを生態系サービスと 呼びます.

生態系サービスの"サービス"は経済学用語を借りたものです.経済学では,お金を 払って得ることができるもののうち,物としての実体があって保存したり輸送したり できるものを"財",形がなくて保存したり運んだりできないものを"サービス"と 呼びます.ただし,生態系サービスというときには,海の漁業資源や森林の植物資源 (木材や薬用植物など)といった,物質的な実体があるものも含めて呼ぶことが 多いようです.

生態系のサービスは,お金を払って得ているものではありませんが,それが失われて しまうと人間にとって大きな損失となります.山の木を伐採してしまったら洪水が 起きて様々な被害が発生した,というのは分かりやすい例です.森林が持っている 雨水を保ち,徐々に放出するという機能が失われることで,洪水を防ぐという サービスが提供されなくなり,人間が大きな損失をこうむることになります.

生態系サービスの価値をなんらかのかたちで評価しようという試みもいろいろと なされています.完全に失われたら人類はもはや生存できなくなるという意味では, 人間にとっての価値は無限大だということもできますが,部分的に損なわれることで どれだけ人間が損害を被るか,あるいは失われた自然が提供していたサービスの 代わりを人間が技術的に提供するとしたらどれだけ費用がかかるかといった見方を すれば,一応は金額に換算して評価することができます.たとえば,森林が 提供している洪水を防ぐというサービスの価値は,洪水が起きたときの被害額で 評価したり,森林がない川の洪水を防ぐために必要な工事の費用で評価することが 可能です.1998年の中国の長江(揚子江)の洪水は,被害者2億人以上、被害総額 約3兆円という大災害でしたが,上流の森林の大規模な伐採がなければこれほどの 災害にはならなかったと考えられています.この場合,被害金額で評価すると, 伐採された森林が提供していた洪水を防ぐというサービスは3兆円相当ということに なります.なお,森林が提供する生態系サービスには,ほかにもさざまざなものが ありますから,伐採された森林のサービスの価値は3兆円にはとどまりません.

アメリカの研究者コスタンザは,地球上の生態系をおおまかに16種類に分けました. 海洋,河口域,サンゴ礁,塩性湿地,熱帯林,温帯・亜寒帯林,農地,砂漠, ツンドラなどがその例です.また,生態系サービスを17種類に整理しました (表1). そして,これまでの様々な研究の成果をまとめて,16種類の生態系それぞれが 17種類の生態系サービスをどれだけ果たしているのかを金額で評価しました. 大きな不確かさを含んだ評価ですが,一応の目安にはなります.評価額の合計は 1年あたり30兆ドル前後という巨額なものでした.世界中の国の国民総生産を 合計しても,この半分程度にしかなりません.

こうした評価に対して,そもそも自然の恵みは経済的な評価になじまないのでは, という声も当然あります.けれども,これまでの自然破壊の背景には環境は只だ という思いこみもあったに違いありません.自然を破壊するという行為が 招いている損失をきちんと評価するには金額に換算するのが分かりやすい, という考え方にも一理あります.評価法にはさまざまな意見があるにしろ, 生態系からさまざまな恩恵を受けて私たちの生活が成り立っているのは確かです. そうした恩恵を,"自然の恵み"といった言葉で漠然と呼んでいたのでは, 科学的な議論,環境アセスメント,政治的な判断などの対象とするのは 難しいでしょう.生態系機能と生態系サービスという概念を通して, 自然の恵みの意味と価値を正面から解明し論じていくことが必要です.


表1 生態系サービスの種類とその例.コスタンザ(1997)より改変.

生態系サービス 具体例
大気の成分の調整 植物の光合成・有機物の分解により二酸化炭素と酸素のバランスをとる
気候の調整 植物の光合成・有機物の分解により温室効果気体である二酸化炭素の量を調整する.
自然災害の緩衝機能 植物群落が嵐の被害を緩和する
水の流れの緩衝機能 森林の保水機能を通して農業用水を安定して供給する
水資源の供給 川や湖沼が水を供給する
土壌浸食の制御 植物が根をはったり,降雨の衝撃を植物が受けとめることにより土壌侵食が起こりにくくなる
土壌の形成 岩を風化させ,有機物を供給して土を作る
チッ素,リンなどの栄養塩の循環 植物や土壌中の細菌が空気中のチッ素を固定して,生物が使える形にする
廃棄物の処理 微生物が廃棄物を分解したり無毒化したりする
花粉の運搬 昆虫が農作物の花粉を運び,結実を助ける
生物の数のコントロール 捕食者の存在が動物や昆虫の数をコントロールする
生物の避難場所の提供 渡りをする鳥の休憩地,狩猟対象動物の避難場所などを提供する.
食料の提供 魚,鳥獣,木の実や果物などを供給する
素材の提供 木材を供給する
遺伝子資源 農作物用の品種をつくるとになる植物を供給する
レクリエーションの場の提供 登山,釣り,エコツーリズムなどの野外レクリエーションの場を提供する
文化的な価値の提供 科学的,審美的,教育的価値を提供する


|
Top Page | 植物生態学 |