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(2010-01-08)  この文章は, 株式会社宣伝会議発行の雑誌 『人間会議』 2009年冬号の「環境の常識・非常識」のコーナーに掲載する記事の 原稿として執筆したものですが、印刷されるものと同一とは限りません. また、印刷されたものにはいくつかの図が挿入されています。


自然界に異変...これも温暖化のせい?

ふだんと違うことが起こると、まずは地球温暖化の影響を疑ってみるのが最近の風潮です。気温や雨、台風といった気象現象に限りません。生き物の分布範囲の拡大や大発生、サクラの開花時期が早くなった、季節はずれの花が咲いているといったことが、自然界の異変ではないか、温暖化の影響か、と報じられます。本稿では、生き物の暮らしの異変と思われることと、地球温暖化との関連付けは簡単にできるものなのか、また、我々が本当に備えるべきことはなにかを考えてみます。

生き物の暮らしは温度に敏感

すべての生き物の生活は温度の高低の影響を受けます。ですから、地球の温暖化が進んだときに、生物や生態系がなんの影響も受けないとは考えられません。私たち人間の暮らしでも、たとえば夏の暑さのちょっとした違いが、冷房器具やビールの売れ行きに影響することはよく知られています。冷暖房や衣服で温度の調節をできない生き物は、よりいっそう温度の影響を受けます。寒い冬のあいだ、動物は冬眠するもの、卵で越冬するもの、さまざまに冬を越す工夫をしますが、それでも堪えられないほど温度が下がれば生きていけません。春、暖かくなればサクラに限らずいろいろな花が咲きはじめますが、なかなか暖かくならなければ花の盛りも遅くなります。夏の気温が低いと米の作柄が心配です。このように温度の上下に生物は敏感に反応します。地球全体の平均気温の変化が生物の暮らしに影響を与えないはずはありません。

気候が違う地域を見比べると、あきらかにそこに暮らす生き物の種類が違うことも、温暖化が生き物に影響することを強く示唆します。気温がいつも30度前後の熱帯と、真冬には氷点下50度以下にもなるシベリアとでは、人間の暮らしも違うのは当然ですが、そこに暮らす生き物の種類もまったく異なります。日本のなかでも、暖かいところに分布する種類、涼しいところでしか見られない種類があります。こうした環境による生き物の種類の違いは、地球上の生物の多様性の一面でもあります。地域によってちがった生き物が、違った生態系を作っています。熱帯林の木をシベリアに植えたり標高3000メートルの山に植えても、たちまち枯れてしまいます。寒い生き物の分布が温度で決っているのであれば、地球が温暖化すれば生き物の分布パターンは影響を受けざるをえません。

過去の気候の変動に応じて生き物の分布が移動していたという事実も、温暖化が生き物に影響することを強く示唆します。最近数百万年は、数万年から十万年程度の周期で寒い氷期と比較的暖かい間氷期とが交互に訪れています。氷期と間氷期では地球の気温は数度の幅で変化します。このような気候の変化が生物の分布に影響したことは、植物の化石の分布からも確かめられています。とくに有効な手掛かりになるのは植物の花粉です。花粉は分解しにくく、何万年も何十万年も残ります。湿地や湖の底に堆積した泥などに含まれる花粉を取り出して種類を調べれば、時代とともに周囲の植物のようすがどう変化してきたかを推測することができます。寒冷化した時期には、北半球の場合には分布の北限が南下する、あるいは山の斜面での上限が下におりてきたことが分かっています。このことからも、十分に長い時間でみるならば、地球の温暖化が生物の分布にも影響することは確かだといえるでしょう。なお、氷期と間氷期では、気温だけでなく降水パターンも変化し、それも生き物の暮らしに影響してきたと考えられています。

ところで、氷期のあとに暖かくなると、赤道側に押しやられていた生き物はふたたび高緯度へ、あるいは山の上へと分布を拡大しますが、そのスピードは生き物によって大きく違います。一日で100キロでも飛べる鳥と、芽生えてから数十年たってやっと実をつけ、それが親の近くに落ちて、それが芽生えて大きくなりというサイクルを繰り返さないと分布を広げられない樹木とのちがいは明らかです。気候の変化にともなう生き物の移動は、みなが歩調を揃えて引っ越すというものではなく、さっさと動くもの、動きにくいものがあるでしょう。したがって、移動した先にはそれまで出会ったことがない生き物がいることもあれば、これまで一緒に暮らしていた種類の生き物が不在だということもあるはずです。それぞれが独立に動くのではなく、餌になる生き物が移動してはじめて移動が可能になるといった相互の関係も働くでしょう。こうした要素が複雑に関係するため、分布の移動を引き起こすような気候の変化があったとき、過渡期に何が起こるかを具体的に予測することはとても困難です。

温暖化のせいか? 責任者を特定するむずかしさ

ある現象が温暖化によるものだと結論するためには、それが温暖化が起こらなければ生じない現象だと確認できなくてはなりません。まれに起こる現象のなかには、温暖化とは無関係に生じることはいくらもあります。たとえば、ブナアオシャチホコという蛾はときおり大発生し、幼虫がブナの葉を食べて裸にしてしまうことがあります。研究者が20年以上にわたって調査した結果、この蛾はほぼ10年の周期で数が増減しており、大発生は決して異変ではないことが分かっています。また、放置された畑や火山の噴火あとといった空き地に草が生え、やがて森林ができていくというプロセスは普遍的に見られます。これは植生遷移と呼ばれる現象です。池が植物の遺体がたまることで浅くなりやがて湿原となるといった遷移もあります。こうした変化までひっくるめて、生態系の異変だと言ったり温暖化と結びつけたりするのはあきらかに誤りです。

とはいえ、わたしたちはそれほど自然を知っているわけではありません。生き物の分布範囲のような比較的単純そうなことですら、正確に把握されているものは限られます。いままで発見の報告がないからといって、そこに分布していないとは限りません。単に調査していないのかもしれないし、調査したけれど見落としたのかもしれません。これまでの分布範囲の確定できなければ、現在分布が拡大しているのかも確認できません。

蛾の周期的な大発生にかぎらず、自然はつねに変動していることも温暖化の影響の検出をむずかしくします。気候変動に関する政府間パネルでも、たしかに温暖化が進行しているという共通認識に至るまでかなりの時間がかかりました。これは観測された温暖化傾向が自然の変動の範囲内かどうかを確かめために長期間のデータが必要だったためです。生物の現象は気候以上におおきく変動しますから、そこになんらかの傾向を検出することは容易ではありません。

こうした変動があると、平常時でも時折は起きるが、温暖化が進むとより起こりやすくなるような現象を観察した場合にそれをどう評価するのかという問題も生じます。真夏のある日に東京の最高気温が35度になったとして、それは温暖化のせいなのか、温暖化が進行してなくともたまに訪れるような暑い日だったのかを区別することはできません。最高気温が35度以上になる年間日数が、どのような範囲でばらつくものかといった統計的な解析が必要になります。

複雑な生態系の現象となると、よりいっそう判別は難しくなります。前にも書いたように、自然界の生き物は互いにさまざまに影響しあって暮らしています。食う・食われるの関係にとどまらず、場所やエサをめぐる競争、寄生・共生といった直接の関係のほか、植物が生えることによる日当たりや乾燥の程度の変化は、植物にかぎらず昆虫など他の生き物の暮らしに影響しますし、水中では水質の変化を介した相互作用もあります。何百、何千、何万という種類の生き物がおたがいに作用しあっているシステムでは、単純に原因と結果の関係を決めることは困難です。極端に言えば、すべてのことが互いに原因であり結果であるとも言えます。

ひとつひとつの犯人探しよりも

本稿の最初に、温暖化が自然の生態系に影響するのは確かだろうと書きました。いっぽう、個別の自然現象が温暖化の影響によるものかを判断する難しさを指摘しました。ではどうしたらよいのでしょうか。 個々の現象の責任の所在が分からないと何も対応できないはずはありません。全体として気温が上昇するなら大局的に見てどのようなことが起こる可能性が高そうなのかを予想し、そのなかにはどんな困った事態、避けたい事態が含まれるかを検討することはできます。たとえば、現在ある生態系の保全のために設定した保護区が、気候の変化によりその生態系を構成する生き物にとって暮らしにくくなっては、保護区として機能しません。温暖化の進行に歯止めをかける努力は当然として、温暖化が進行した場合に起こり得る困った事態を少しでも避けるにはどうしたらよいかを考えなくてはいけません。温暖化への適応策と呼ばれるものを、生き物や生態系についても考えるということです。手遅れにならないように、かといって過度におそれることなく、自然の状況をモニタリングしながら現実的な対応をしていく必要があるでしょう。

脅威は温暖化だけではない

地球の温暖化は、その背景にある資源消費型の社会のありかたとともに大きな問題です。とはいえ、温暖化ばかりがクローズアップされ、その他の問題が忘られることがあってはいけません。そのことは生物多様性や生態系の保全においても同様です。生態系に悪影響を及ぼす温暖化に歯止めをかけるという理由で、自然林を伐採して成長が早いユーカリの人工林が作られるとしたら、生物多様性の保全という観点からはあきらかに本末転倒です。

生き物の種類によっては温暖化で生息可能な地域が狭まるといった懸念がありますが、それ以前に、人間が非常に大きな面積の土地で本来の生態系を変えてしまったことを忘れてはいけません。農地、植林地、市街地に道路、いずれもその土地で暮らしていた生き物と生態系に大きな影響、それもしばしば壊滅的な影響を与えています。また、人間による直接の乱獲も大きな要因です。生物多様性や生態系の保全の観点からは、温暖化の影響が最大の脅威だとはとても言えません。はやりの話題だけが過大に問題視されることなく、さまざまな問題への対処をバランスよく考えることが重要でしょう。


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