先週末からの不在は夏休み。前半は磐梯朝日国立公園、吾妻山のあたり。 歩きながら写真も撮る。 ヤマハハコ(写真)の白い部分は総苞片で、タンポポの花の 緑の部分にあたる。 カニコウモリの反り返った花弁と雌しべの先端がおもしろい (写真)。
懲りずに蝶の写真も何枚か。 ヨツバヒヨドリで吸蜜するクジャクチョウ(写真)。 ヤマハハコで吸蜜していたヒョウモンチョウは、ミドリヒョウモンか (写真)。 違っていたら教えてください。
休みの後半は蔵王。 ヨツバヒヨドリが花盛りで、その蜜を吸うアサギマダラがそこらじゅうで舞っていた (写真)。 耳のそばを通るとぶんぶんと羽音がする。 ヨツバヒヨドリの花のアップも (写真)。 白くて細長いのは雌しべの先。
岩肌のねじれを見ると、人間のスケールをはるかに越えた力と時間を感じる (写真)。 御釜の火口湖を背景に入れてススキを撮ってみた (写真)。
写真を撮るようになってから、山でこけることが増えた気がする。 視線が常に周囲の植物のうえをさまよい、足元を見ていない。 道が悪いところでは足の置き場を意識するのでかえってころばない。 なんでもないところで転ぶ。 今回も2回ひねった。 痛めた翌日に町に降りてサポーターを購入し、足首を軽く固定して歩いていた。 度重なる捻挫で足首の靭帯が伸びているためか、簡単に捻挫するけど重症にはなならい。 帰ることには痛みはまったく消えてしまった。 とはいえ、こけないほうがよいのに決まっている。意識の振り分けに要注意だ。
昨年3月末で終わった5年間の管理職の日々は、しっかりと心と体に傷跡を残した。 とくに最後の一年は、ストレス難聴になったり、不整脈が頻発したり。今も低音域は聞きにくい。 不整脈は何度も人間ドックで指摘されるので、観念して検査を受けることにした。
おとといのチョウはしっかりまちがえてました。 昆虫の識別は自信がないので、できればすべてに(…たぶん)(…だと思う)(違ってたら教えてください)と 書いておきたい。でも、そればっかりだと見た目がうるさいかと思って省略すると、しっかりまちがえる。 見るべきところが見えていない。 正確には、見るべきところがどこなのかの感覚ができてないということか。
昆虫よりはずっと安心して名前を書ける植物の写真を何枚か。 シラカシの枝先には、お皿のなかに埋もれた若いドングリがみっしりとついている (写真)。 ススキの穂もまだ若い (写真)。 ヨウシュヤマゴボウの花は、小さいながらも花らしい花だ (写真)。 クズは甘い香りの花をつけている (写真)。 花を訪れている虫はミツバチっぽく見えるが、 いいかげんなことは書かないことにしよう。
苦闘していた原稿は、どうにかまとまってきた。そつなく、おもしろみもなく。 そういう種類の原稿なのでしかたがない。
25〜29日は不在です。
前にも撮った気がするが、アカメガシワの葉には、基部に2つの蜜腺がある (写真)。 ちゃんとアリが来て蜜を吸う (写真1、写真2)。 地面を歩いているアリが、こんなものをどうやって見つけるのやら。 アリが葉の上にいることで、植食性昆虫に葉が食べられるのを防ぐ効果があると言われている。
庭にヒメアカタテハ(誤)(←ツマグロヒョウモンの雌)が来ていた
(写真)。
私の場合、だいたい制限字数の5割増しから2倍ぐらいの量を書いてから削っていくとなんとか読めるものができる。 無理矢理書いてやっと字数に達したような場合は、ろくな文章にならない。 いま苦闘している原稿は後者のケース。 いろいろ考えを巡らせて、書いておきたいことをもっと増やしてから切り捨てる作業が必要だ。
先週末は連れ合いの実家へ。評価がどのうこうのという世界とはまったく別の時間が流れる。 ゆったり気分のまま、月曜の午前中に一人で一足先につくばへ。読む本がなくなっていたので、 新幹線に乗る前に本屋に寄って2冊購入。読んでいるうちに東京駅に到着する。 八重洲ブックセンターでさらに何冊か買ってからつくば行きの高速バスに乗る。その車中も読書。 午後の早い時間に帰り着いたので、しばし家で寝転がって読書。 夕方前に研究室に行ってみたが、しばらく前からの夏風邪が抜けず、 どうも能率があがらないので早めに引き上げる。 夕食の買い物でスーパーに寄ったついでに本屋へ。 なんて幸せな一日だ。
カワラヒワが来ていた庭のヒマワリを数日後に見てみたら、種子はすっかり食いつくされていた。
職場のアカマツ林の林床でコオニユリ(写真)や コバギボウシ(写真)が咲いている。
クリーニング屋でもらった種子から育てたヒマワリの花が終わって、今は実りの季節。 そのままにしておいたら鳥が食べるかなと期待していたら、週末にカワラヒワが来ていた (写真 、写真)。
庭に勝手に生えてきたヤブミョウガが開花中 (写真、 写真)。 みょうがの仲間ではなく、ツユクサ科。
水をピシッ!ピシッ!と飛ばしながら回転するスプリンクラーは涼しげだ。 先日、運動後の火照った体を冷やそうと近寄ってみたが、これがなかなか難物だった。 近すぎると水の勢いが強くて痛い。これはいけないと少し距離をとると、 斜め上向きに放射される水は頭上を通り過ぎていく。その水が適当な高さに落ちてくるところまで離れると、 角速度は変わらないが回転半径が大きくなるので、落水地点が円周上を移動する速度が速くなる。 これを懸命に追いかけていると、少量の水を浴びて冷やされる効果よりも、走って暑くなる効果のほうが大きい。 水圧、通過高度、移動速度の3つの要素がスプリンクラーからの距離に依存しており、 強すぎず、高すぎず、速すぎないという都合のよい距離が存在しなかったということ。残念。
数年前、庭にサネカズラが生えてきた。 近所の家の庭から鳥が運んだのか。 今年はたくさん花をつけた。といっても、地面を覆う葉の下でひっそり咲いていてまったく目立たない (写真)。 無理に中を覗きこんでみる (写真)。 ほのかに甘い香りがする気がするが、まだ風邪が完全には抜けていないのでよく分からない。 サネカズラはマツブサ科で、単子葉類と真生双子葉類が分岐するより前に分かれたグループ ( APG植物分類体系)。
例年、夏の構内は植物の写真のネタが枯渇するのだが、昆虫にも注目するといろいろ見つかって楽しい。 あちこちに生えているウドの茎や葉柄が、みな白く汚れている (写真)。 何かと思っていたが、これはアオバハゴロモという昆虫の幼虫 (写真)。 これでもまだ良くわからないが、手に載せると、なるほど頭も脚もある (写真)。 白い毛は分泌物。 こんな体をしながら、捕まえようとすると何十センチも飛び跳ねて逃げる。 成虫もたくさんいた (写真)。 手を近寄せると、いっせいに反対側に移動し、薄っぺらい体をウドの葉柄のかげに隠そうとする。
その近くのクズの葉のうえにも、「毛」が載っていた (写真)。 これも植物の種子ではなくて、ベッコウハゴロモという昆虫の幼虫のようだ (写真)。 以前、東京の緑地で教わって写真を撮っていた。
私が悩んでいた 「大丈夫です」という表現の意味について、 まさに蒙を啓くご意見をいただいた。 申し出や提案に対する「大丈夫です」は、 「たとえ真意は拒絶であったとしても,そこまで汲み取る必要はなく,遠慮として受け流してください。」 という表現ではないかとのこと。 なんと。私は、拒絶なのか遠慮なのか分からないことに悩んでいたのだが、 そこを曖昧にすることこそが、この表現の意図だったのか。もしそうなら、 「大丈夫というのは、本当は欲しいけれども、なくてもどうにかなるという意味なのか、 欲しくないという意味なのか、どちらでしょうか」と追求することは、極めて礼を失したものと言わざるを得ない。 「おや、お帰りですか?」「はい、ちょっと用があるもんで」といったやりとりで、「用ってどんな用ですか?」 と追求するようなものだ。
「…そこまで汲み取る必要はなく、…」というところがまた深い。 イヤだと思う気持ちをあなたに理解してもらおうとは思わない、という距離感が表現されている。 拒絶か遠慮かの明確化を迫ることは、相手が置こうとしているこの距離を、土足で踏み越えていくようなものということになる。