きのうは、締め切り仕事をひとつ、締め切り前日に片付けて送った。たいへん気分がよい。 きょうは明日締め切りの仕事を片付けたい。終わるだろうか。
ワレモコウが咲き始めた。そこにノシメトンボがとまっていた (写真)。 コバギボウシの花序を見ると、下から上へと咲き進むjのがよく分かる (写真)。 花の付け根の小さい葉(苞)が美しく撮れた。
アキノエノコロの群生を逆光気味で撮ってみた(写真)。 メヒシバも少し混ざっている。 毛が光って風情がある。
めずらしく明るいところでジャノメチョウを撮れた (写真)。 もう一枚は、なんとなくドラマの予感を漂わせている気がする (写真)。
コオニユリをもう一枚だけ (写真)。華やかだ。
家の庭では、しばらく前からキキョウが咲いている (写真)。脈のところだけ色が濃い。
通勤途中の池で、コシアキトンボが撮れた (写真)。 飛んでいるところも (写真)。 「コシアキ」の白い部分がくっきりと。
腹になにやら出っ張りがあるようなトンボがいて、あとで調べたらウチワヤンマというもののようだ (写真1、 (写真2)。
自作プログラム用に、GPX ファイルの形式を調べてみたら、 こんなサイト がみつかった。 ここに載っている仕様文書があれば、 処理するプログラムも書ける。 やはりプログラムは使うより書くほうが楽しい。
野外調査用のソフトのアイデアがあり、 無料で提供されている Microsoft Visual Studio Express を使い、 C# でプログラムを書き始めた。 C# という言語も Visual Studio という開発環境もはじめて使う。 開発環境の使い方、一緒に提供される膨大なライブラリ (.NET) の使い方、C# の使い方が絡み合い、最初のとっかかりはそう容易ではない。 しばしば詰まっては、これまでの経験や知識を動員しつつ、推理だの試行錯誤だの本だのネット情報にも頼って 乗り越えていく。これはこれで楽しい。数日で大枠はできた。
やらないといけない仕事がいろいろあるが、それをひとまずおいておき、やりたいこともいろいろある。 でも、後ろめたいから没入できない。結局どれも中途半端で、 なんだかピリッとしないまま時が流れていく気がする。
庭のフェンスで咲いているスイートピーの花は、竜骨弁がねじれている (写真)。ちょうどノアズキと同じように (2012年9月の写真)。
今年は夏野菜が順調に採れている。ナス、トマト、モロッコインゲン、ピーマン、キュウリ、甘トウガラシ。 トマトの花の写真を一枚(写真)。 この時期、庭で採れたものを食べるのにおわれて、お金を払って野菜を買うことはほとんどなくなる。 もう少しするとゴーヤやオクラも採れるはず。
ゴーヤの巻きひげのアップ (写真)。 巻きひげの先端が何かに絡みついたあと、ねじれ始める。 両端が固定されているから、全体を一方向にねじることはできず、 この写真のように途中で右巻きと左巻きが切り替わらざるを得ない。
夏らしい写真の花を2枚。 一枚はヒマワリ (写真)。小花は外側から内側に向かって咲き進む。 数列目あたりの花が花粉を出しているところだ。 もう一枚はムクゲ (写真)。 ちょうど何かが飛んできて、下の花弁にその影がうつっている。
家のそばで見たキアゲハ(写真1、 写真2)。 後翅裏側の鱗片を拡大してみる(写真)。美しい。
ピリッとしないままの絵日記でした。
庭のキュウリの、ネットからはずれて伸びていたつるをネットにひっかけていたら、 その葉の上にヤブキリがいた (写真)。 まったく逃げない。そんなことで生きていけるのかと思うが、 やブキリはそういうものらしい。 正面顔をじっくり撮影する (写真)。
林の中でヤマユリが咲いている (写真)。 あたりに濃厚な甘い香りを漂わせている。
「オカトラノオに来る虫」シリーズの続き。 まずはアカハナカミキリ (写真)。 つぼみのあいだからこちらを向いているところ (写真)。 そして飛び立とうとするところ (写真)。 あとはジガバチ (写真)。なんと細くくびれた腹か。 それからキンケハラナガツチバチ (写真)。長い名前だ。 写真を撮ってすぐに調べられるのは、デジカメならばこその楽しみだ。 いずれも同定がまちがっていたら済みません。
ほかに咲いているのはノヤマトンボ(写真)や ヤブカンゾウ(写真)。
暑い日の午後の、あやしく湧き上がる雲 (写真)と、 夕方の赤味を帯びた雲 (写真)と、 雲を見て、心が持って行かれそうになるときと、そうではないときがある。 雲の状態だけでなく、こちらの心の状態にもよるようだ。どんな時に心が持っていかれるのかは、はっきりしない。 辛くて現実から逃げたいときか、むしろ心が乾いていない、感じ取る力があるときなのか。
オカトラノオの花は、花序の下から上に向かって徐々に咲き上がっていく (写真)。 そこにいろいろな虫が来ている。 モンシロチョウ (写真)、 ジャノメチョウ (写真)、 イチモンジセセリ (写真)。 そのほか、アブの仲間とおぼしきもの (写真)、 ハチの仲間とおぼしきもの (写真)。 図鑑やネットで調べてもはっきりと分からず、もどかしい。
週末、ホームセンターで見かけたサボテンを買ってしまった (写真)。 上から見たときの姿に惹かれた (写真)。 みごとに円周の 3/8 、135度ずつずれながら新しい葉が切りだされている。 8ステップでちょうどもとの場所に戻るので、若い葉から順に番号をふったとき、 1番と9番、2番と10番、3番と11番が、同じ線上にある (写真)。 なお、サボテンの葉そのものは刺になっているので、 きれいに配列したブロックは、葉の基部の茎が盛り上がったものだろう。
よくあることだが、気がつくと綱渡り中。何度も同じことを書いている気がするので、 ためしに自分のページ内で「綱渡り」を検索したら 16件ヒットした。 検索結果には Amazon の「綱渡り」関連商品へのリンクまでついでに表示された。 体幹を鍛えるための綱渡り用品など。今の私は、何が鍛えられているのだろうか。
ヒメジョオンでベニシジミが吸蜜している (写真)。 ヒメジョオンは外来種、ベニシジミは日本在来種。 ネムノキが咲き始めた (写真)。 桃色に見えているのは雄しべだ (写真2)。
「赤い花は赤いか」という質問に素直に答えるなら、「イエス」と言わざるを得ない。 「赤い花」について尋ねているのだから、赤いに決まっている。 「おししい料理はおいしいか」もまた然り。 「美しいゴキブリは美しいか」と問われると、ちょっと待てと言う人もいるかもしれない。 そもそも「美しいゴキブリ」なんてありえない、 「美しいゴキブリ」の存在を想定するなどという勝手な土俵の上での議論には付き合えない、 と主張することが可能だ。 相手のレトリックに丸め込まれることを拒否する、まっとうな主張だ (実際には、たとえばオーストラリア産のこれなど、 多くの人が美しいと感じそうだが)。
「必要最小限の○○は必要か」という設問も同様だ。「必要な○○」と言っている時点で ○○の必要性を前提にしている。そもそも「必要な○○」って何なんだ、そんなものは存在するのか、 というところから議論しないと相手の土俵に乗せられてしまう。 「最小限」も、どのような条件を満たす解のなかでの最小なのかを明示しないと、定義しようがない。