ウツボグサが咲いている (写真1、 写真2)。 その花をめざしてトラマルハナバチが飛んできた (写真3)。 イチモンジセセリも吸蜜中 (写真)。 ノアザミにはオオチャバネセセリがきていた (写真)。
次の免許更新は定年後だということに気づいたように、年齢を重ねていることをときおり実感する。 アイドルだと認識していた人が老人役を自然に演じていたり、 かつて活躍したスポーツ選手の話をしようとして、その現役時代を知る人がまわりに見当たらず がっかりしたり。 このあいだは、世の中がどうなってももはや自分が徴兵される年ではないな、ということをふと思った。 そう思うと、以前と比べてどこかしら当事者意識が減じてしまっていた。 実に勝手なものだ。そんな想像力がないことではだめでしょう。
ひねった足首はほぼ癒えて、スポーツにも支障がなくなった。
きのうの午前中は休みをとって運転免許の更新に警察へ行った。 歩いて15分余り。その道中、歩道の敷石の段差に半端に足が乗り、思いきり足首をひねった。 靭帯が無理に伸ばされるいやな感じは毎度おなじみ。まずはどのぐらい重症か、 このまま歩いていけるかと考え、その数秒後には、今度はいつ何の試合があるんだっけと考えている。 これもいつものことだ。この程度なら、サポーターで固定すれば週末の野球の試合に支障はなかろうと判断して一安心。
優良運転者ということで免許の次回更新は5年後。つまり定年後か。 体が思うように動く状態で定年後の自由を楽しみたい。 そのためにも、歩道を歩いて捻挫しているようじゃだめだな。 4月4日に 「ぶつけない、つまづかない、捻らない」という課題を設定したのもすっかり忘れていた。 机の前に書いて貼っておくか。
警察からの帰路、道路脇の土手に植えられているヒュウガミズキの株のなかからオカトラノオが顔を出して 花を咲かせていた (写真1、 写真2)。 植え込みの中で勝手に芽生えた多年草や木は、草刈りのときに根元から刈られないので、 タイミング次第でそこそこ光合成をして毎年顔を出す。 植物にとって市街地のなかの意外な穴場だ。
庭の畑で夏野菜が採れ始めた。 ナス、キュウリ、ピーマン、甘とうがらし。 採れたてのキュウリのパリパリした食感が嬉しい。 まだこれからなのはモロッコインゲン、オクラ、ゴーヤ、トウモロコシ、トマト。 野菜の花の写真を少し。モロッコインゲン(写真)に キュウリ(写真)。 5月の末に撮ったヒモトウガラシの花も載せておこう (写真)。 今年はじめて育ててみる。花も茎も実もアントシアンたっぷりという感じの品種だ。
子供のころ、家の食卓はあまり季節感豊かなものではなかったように思う。 大学に入って一人暮らしをするようになって、野菜には季節があるということを値段の変化に感じた。 自分で野菜を育てるようになって、それぞれの適期を実感できた。 スーパーに季節外れの野菜が並んでいると、無理してると感じる。 その無理は、輸送エネルギーだったり、空調設備だったり。
2年前の秋、庭で青い金属光沢の昆虫をちらっと見かけた。そんな色の昆虫がいるのだろうかと思って 調べたところ、セイボウ(青蜂)というグループがあることを知った。 私が遠くから見た昆虫がセイボウの仲間だったのかどうかは確かめようはないが、 いつか見てみたいという気持ちが頭のすみっこに残っていた。 なので、視野の端に青く輝く小さな虫がひっかかったときは興奮した。 これぞ(きっと)セイボウではないか(写真)。 オオセイボウという種類だろうか。宝石のような輝きだ。
たぶん、セイボウを見たいという潜在的な欲求がなかったら、視野に入っても頭が情報処理しなかっただろう。 夢を持つって大切だという教訓(ちょっと違うか)。
風邪は、私的に定義した前期・中期・後期・終期のなかで後期の後半あたりというところか (私的定義なので、一般には意味不明だが)。
メスグロヒョウモンは、雄と雌で模様がまったくちがう性的二型。 雌のきれいな写真が撮れた (背面と 腹面)。 どちらの面も美しい。
最近、とある写真家の本を久しぶりに取り出した。 ここと思い定めた島に移住しての、苦労もまた楽しという日々が綴られた本だ。 たしかけっこう若い人だったよなと思いつつ著者プロフィールを見ると、私とひとつ違い。 本が出たのは20年前で、たしかにそのときは若い人だったし、私もそうだったわけだが、 今となってはまったく若くない。人はみな年をとるということを改めて実感した。
木曜に発症した風邪の症状は着実に進行し、土曜の夜は38度前後まで熱があがった。 日曜は一日ごろごろ。体を動かす気がせず、自分が非常に怠け者になった気分だった。 実際怠け者なのだが。
今回の収穫は、体温計の進歩を知ったこと。 新しく買った体温計は、測定開始から20秒で、そこまでの 上昇傾向から外挿して求めた推定値を表示する。その後10分たって 完全に平衡状態に達したことろで実測値を表示するという二段構えだ。 なにせ時間はあるので、なんども両方の温度を比べたところ、最大 0.3度ほどの 誤差だった。ほぼ平熱か、熱があるのか、高熱かを区別するには十分な精度だ。
今朝は36.5度(推定値)まで下がった。
野外調査中だった木曜日の午前、突然喉が痛くなった。やがてつばを飲み込むのも辛くなった。 この後、やや痛みはおさまるが、鼻水がだらだらと出始める。風邪だ。やがて声がガラガラになった。 いつもの流れだ。頭が重い。熱はただいま上昇中で、現在37.7度。 どこまであがるやら。ともかく免疫系の健闘を祈るばかり。 このあと数日でしだいに鼻水の粘性が高まり、喉の炎症がおさまっていくはず。 ここに記録してておくと、いつ風邪を引いたかあとですぐ分かる。 昨年の9月、12月、今年の2月に続いての風邪だ。その前は5年以上引かなかったのに、どうしたのだろう。
今週なかばは調査の下見で会津へ。いかにも自然の恵みを活用している山間の村。斜面を少しあがった ところの畑はもう耕作していなくても、ワラビ、ゼンマイ、コゴミやタラ、ウドなどが広がっている。 意図的に残しているのだろう。湿った道端にはミツバなど。 畑のすぐそばにクワやコウゾ、グミ、カキ、クルミなど実が使える木々が生えている。ミツバチの巣箱もあった。
雨がふったりやんだりの天気だった。 あちこちにタニウツギの桃色の花が咲いていた (写真)。 カンボク(写真)の白い花にはいろいろ昆虫がきていた。 ウリノキが花盛り (写真)。黄色いのは雄しべ。 草地で咲いていたセリ科の大きな草本は、おそらくオオハナウドだろう (写真1、 写真2)。
天気が悪いと、チョウの動きが鈍いので、写真を撮るにはかえって好都合ということもあるのだとか。 ふわふわ飛んでいたウスバシロチョウは、シロチョウ科ではなくアゲハの仲間 (写真)。 ヒメシジミは青と暗い灰色、そして縁取りの白い毛というデザインがおしゃれだ。 (写真)。
久しぶりに雨があがった。 ノアザミにウラギンヒョウモンが来ている (写真1、 写真2、)。 そこにもう一匹が寄ってきた(写真)。オスなのか? ルリシジミのメスもいた (写真)。 そこにもう一匹。こちらはオスで、メスにからんでいる (写真1、 写真2)。 もう一枚、別れたあとのオス(写真)。瑠璃がきれいだ。
ハクウンボクの若い実 (写真)。エゴノキと同じ属だけあって、 とてもよく似ている。
本でも、ラーメンでも、アサガオの鉢植えでもなんでもよいが、たくさんの なかから選んで賞を贈ると、受賞したものと、そうでないものに差別化される。 受賞したら幸せかもしれないが、受賞を逃したほうはがっかりする。 励みにすればよいと言うかもしれないが、 いいからほっといてくれと言いたくなる人も多いのではないかと、いつも思う。 そのもの・こと自体にやりがいを感じているならそれで十分だし、 価値があるものは、賞をもらおうともらうまいと価値がある。 ノーベル賞をもらっても過去の研究の価値は変わらない。
メガネを首にぶら下げる紐を、グラスコードとか眼鏡コードとか呼ぶようだ。 かけたりはずしたりする老眼鏡には必需品だ。 この紐が、眼鏡の鼻あてに絡まると非常に困る。 裸眼ではどのように絡まっているのかよく見えない。 絡まったまた眼鏡をかけたら、絡まった部分は鼻の上で、当然見えない。
明日、明後日は久しぶりに調査。天候はぱっとしないようだ。
鶏は、もも肉がおいしい。塩をふって日本酒をかけて蒸した残り汁も、あまりにおいしそうなので 雑炊に出汁にしようと思って蒸した皿ごと冷蔵庫に入れた翌日、脂がさまざまな大きさに丸くなって 固まっていた(写真)。フラクタル的だ。円の大きさの 頻度分布を調べてみたくなる。凝固の出発点の空間分布が反映されているのか。 できはじめた油滴同士が成長過程でくっつくことはないのか。 冷蔵庫の中では観察がむずかしい。覚えていたら、冬に試してみよう。
R の日本地図描画ライブラリのページを更新。 このライブラリは自分で使いながら少しずつ更新している。 そのたびにページを更新するのは面倒なので、ついつい後回しにしてなっていた。 白地図描画関数をユーザが直接呼び出すことを想定した改変のほか、 必要なファイルをひとつにまとめて使いやすくしたり、奄美諸島が本地図と離島ボックスとに ダブって描かれるバグを修正したり。
このライブラリや紹介ページを一番利用しているのは自分だと思うが、 他にも利用してくださるかたがいれば、とてもうれしい。 定年後にじっくりやりたいことのひとつは、人に使ってもらうプログラム作りだ。 私の Want-to-do リストの上位にある。
虫媒花のように、他の生物とのなんらかの関わりを持つために進化した器官は、 関わっている姿を見てこそ、本当に見たことになるような気がしてきた。 週末の庭で、キツネノタイマツの胞子が入ったネバネバにハエが来ていた。 まんまと呼ばれているなと思ってカメラを向けた (写真)。
駐車スペースのすみっこに落ちたままになっていた衣類があった。 持ち主が気づかないものかと思いながら見ていた。数週間たったころ、その衣類が植え込みの 上に広げて載せられていた。ズボンだ。 こんどこそ持ち主か気付くかと思ったが、さらにそのまま数日たった。 そこでようやく気付いた。私の作業ズボンだ。 速乾性の生地なので、雨に濡れてもすぐに乾いたからだろう、熟成された異臭はない。 回収日はよく晴れた日だったので、乾いた洗濯物の香りがするのみ。ありがたい。 ふだんから、「だれか○○を忘れてるぞ〜」という呼び掛けがあったら自分が忘れたのではないかと 疑うことにしている。実際にしばしば忘れるから。今回は油断した。謙虚さがたりない。 失敗した・忘れた・間違えたのは自分である可能性をまずは検討すること。