秋が深まると家の庭でジョウビタキを見るようになる。 アジサイの園芸品種にとまったジョウビタキの雌 (写真1、 写真2)。
今年は秋の野菜がみな元気だ。カリフラワー、ブロッコリー、春菊、ホウレンソウ、サニーレタス、 ラディッキオのほかワケギ、コリアンダー、ディルといった香味野菜も採れる。 いろいろ摘んできてすぐにサラダもできる。 ホウレンソウにしろサニーレタスにしろ、葉を一枚一枚摘んで食べていると、すぐに新しい葉が出てくる。
例年この時期、白粥にコリアンダーやワケギを載せ、ごま油、ラー油、ナンプラーなどをかけた お粥が休日の朝食の定番メニューのひとつだ。とてもアジアン。 コリアンダーがほんとうによく育っているので、納豆の薬味に載せてみたところ、 なかなかよい。これまたアジアンだ。 納豆はアジアのあちこちで作られている。日本式の食べ方にこだわる必要はない。
メタセコイアが落ち着いた色になっている (写真)。 ユリノキの葉はだいぶ落ち、実が目立つようになった (写真)。
松枯れで枯れたアカマツのてっぺんに雌のモズがいた (写真)。 雌は目の後方が黒くなく、腹にはうろこ状の模様が見える。
地面近くでチッチッとアオジの声がする。なかなか写真が撮れるところに姿を見せてくれない。 多少ピンぼけながらようやく撮れた一枚には、腹から喉の黄色が写っている (写真)。
ほとんど葉を落としたクヌギを枝をコゲラがつついていた (写真)。 シジュウカラも何羽か、あっちの枝、こっちの枝と飛び回っている (写真)。 虫の食べかすが外に出ているドングリが目当てのようだ (写真1、 写真2、 写真3)。 虫が開けた穴を利用してドングリそのものを食べたいのか、中に入っている虫が狙いなのか。
天気のよい土曜の朝、家から10キロ足らずのところにある池に行ってみた。 イチョウの黄葉がまぶしい (写真)。 ケヤキの落葉は茶色の濃淡がさまざまだ (写真)。 立ち枯れたサクラの幹にはえていたキノコはヒイロタケらしい (写真)。
池のほとりにいたアオサギ (写真)。 獲物を探しているのか。 サクラの樹上にいたセグロセキレイ (写真)。 やがて下に降りて、池のほとりを行ったり来たりしていた (写真)。
水面に浮かぶカンムリカイツブリ (写真)は、時折潜って漁をしていた。 オナガガモは番で (写真)。 どちらの写真も、水面が青空を映している。 カワウが飛んできて、着水する寸前を撮れた (写真)。 こういう動きのある絵は楽しい。
なぜ幸田文の「崩れ」を手にとったかを書きたいのだが、どうしても話が長くなりそうだ。 短くするには時間がかかる。またにしよう。
伊豆の写真をもう少し。 アセビの低木林の様子(写真)。 山道の道端のウバユリの実(写真)。 これも秋の風情だ。
見晴らしのよい山頂から海を見る(写真)。 どこまでが空でどこまでが海か。
無理やり休みをとって伊豆へ。温泉宿に2泊し、中日は少し山を歩いた。
アブラチャンの紅葉(写真)や、 ツルウメモドキの実(写真)。 すっかり秋だ。 ノブドウの実(写真)も美しい。 ところどころでリンドウが咲いていた(写真)。
山の尾根道沿いに並ぶ、アセビのくねった幹(写真)。 年月を感じさせる。高さは数メートルだがアセビとしては大柄だ。 近くでは道標の杭の上のコケが朔(さく)=胞子嚢をつけていて、 よい具合に写真に撮れた(写真)。
葉を落とした木々のむこうに見える富士山(写真)。 わずかに雪が見える。雲がかかって趣深い。
私の肩にルリタテハがとまり、すぐに飛び立ってこんどは近くのヒノキにとまった (写真)。翅をしっかり広げてくれて、きれいに撮れた。 茶色く枯れたススキの葉のうえで、ウラナミシジミは翅をひろげたり 閉じたりしていた(写真1、写真2)。
宿でゆっくりしながら読んだのは幸田文の随筆、 「崩れ」。なぜこの本かはまた書く(かも知れない)。読み始めてみたが、最初はなぜか頭に入ってこなかった。 一息ついて、口をもごもご動かし、頭のなかで音にしながらゆっくり読んでみたら、しだいに馴染んでいった。 明治に建てられた宿の建物とも相性がよい。 幸田文モードになった頭は、もう仕事の書類の読み書きには戻れない気がした。
帰る日の朝、宿の窓ガラスの内側にカゲロウがとまっていた (写真)。 ペアガラスに二重に映る影がおもしろい。カゲロウの幼虫は水生だ。 宿のすぐ前を北又川が流れている。そこの産だろうか。
あいかわらず余裕がない日々で、写真もなし。でも明日から火曜まで無理にお休み。
7年前から使っている携帯電話はいろいろ不具合が出てきた。 思い切ってiPhoneを購入した。 iPhone には Siri という人工知能っぽいものが入っていて、人間がしゃべったことに反応し、 音声と文字表示でこたえる。ここまで音声認識や自然言語処理の技術は進んでいるのか。知らなかった。 うまく通じなかったときに思わず「ちくしょう」とつぶやいたら、「親しき仲にも礼儀ありと申します」 と言われてしまった。すみません。
Siri の言語の設定がいろいろできるので、 少しだけ覚えているロシアでためしたらちゃんと通じだ。 「なにか食べたい」と言うと近所のレストランの検索結果が表示されるし、 「明日の天気は」と聞くと天気予報が表示される。 巷では Siri にいろいろ質問をして、どんな返事が返ってくるかを楽しむことが行われているようだ。 ロシア語でもやってみる。「人生は?」と聞いたら「絶好調」だそうだ、 ただ、Siri の返事のロシア語は分からないことが多く、古い辞書を取り出す。 外国人の恋人ができると言葉が上達するという話を思い出した。
写真がないと寂しいので、少し前の写真を掘り出す。 シンガポールで見たホウガンノキの花 (写真)。 名前は実に由来する (写真)。 直径が15センチほどで、まさに砲丸という感じだ。英語名も Cannonball tree。というより、 英語名の直訳でホウガンノキか。原産は南米だが、世界の熱帯で植えられているようだ。 サガリバナ科。この仲間で日本に自生するのは南西諸島のサガリバナ。花は夜に咲く。観光資源にもなっている (たとえば サガリバナ鑑賞クルーズ)。
綱を渡るべく足掻く日曜。外は雨だ。
一週間前に撮ったイヌコウジュ(写真)。 ほぼ花が終わり、花序全体にアントシアンの赤が乗っている。 画面の下のほうに、かろうじて数個の花が見える。
先月末に、どうにか途中の柱につかまった綱渡りは、さらに先へと続く。 乗りきれるか不安だが、落ちても大怪我しなければよしとしよう。
エノキの葉は、葉緑体中のクロロフィルが分解されて、カロテノイドの黄色が見えるようになった (写真)。
浅い池のアメンボの影が水底に落ちている(写真)。 画面の右やや上がアメンボ本体、左のやや下が影。ふつうの影に加えて、6本の脚の先が触れているところの水面の歪みが 丸い影を生じる。アメンボが泳ぐと影もいっしょに動いておもしろい。
ばらばらに散らばっているものを、ある基準をなるべく満たすように再配置するプログラムで、 全体の「しあわせ」(基準合致度)が増すように微調整していくと、最後に基準から大外れの「きわめて不幸な人」 がどうしても少数残ってしまった。「もっとも不幸な人」を優先的に救済する、 そのために他の人の幸せが減じてもやむをえない、という方針で微調整していくと、当然ながら大外れが残らなかった。 人間社会とのアナロジーを考える意味はないと思うが、ちょっと興味深い。
天気がよい休日、近くの公園の池に行ってみた。まだカモは増えていない。 ヒドリガモにホシハジロが少し混ざっていた (写真)。 池の端のサクラの枝先にとまっていたシジュウカラ (写真)。 モノトーンな絵が、初冬の雰囲気ではなかろうか。
サクラの幹には昆虫もいる。そろそろ寿命が近そうなハラビロカマキリ (写真)。 ヨコヅナサシガメの幼虫(写真) はこのまま冬を越し、春に成虫になるらしい。 横から撮ると口吻が見える (写真)。 これを餌となる昆虫の体に突き刺して体液を吸うという。
きのうのアオサギのところ、 写真のページにはアオサギと書きながら、 こちらの「様子」にはなぜかオオサギと書いていた。なにやってんだ。 頭がおぼつかないのか、手元がおぼつかないのか。