月曜の朝はさらに波が高い。それでもカモメ(たぶんウミネコ)は飛ぶ (写真1、 写真2、 写真3)。
不思議な軌跡をたどる台風10号は、太平洋側から東北に上陸するはじめての台風になるらしい。
少し離れたところで、樹の切り株のところに緑色のものが飛んでいった。カナブンかなにかかと思ったが、ちがった。 ハキリバチの仲間が葉を巣穴に運びこんでいるところだった (写真1、写真2)。 穴に入って少しすると後ずさりして出てきて、またすぐに巣材を求めて飛んで行く (写真3、写真4)。 地面近くを素早く飛ぶのですぐに見失い、飛んで行った先で葉を切り取るところは見られなかったが、はやいときは30秒もせずに戻ってくる。
ツユクサが咲いている (写真)。花弁は青いのが2枚と白いのが一枚。 雄しべは先が黄色くて短いのが3本、同じく先が黄色くて長いのが1本、それとさらに長いのが2本あって、この2本だけ 本当に花粉をつける。そのあいだに雌しべがひょろっと伸びている。 ツリガネニンジンも季節だ (写真)。
コケが覆う木の幹にとまったサトキマダラヒカゲの写真は、なんとなくよい雰囲気に撮れた (写真)。 イトトンボがあちこちで目につく。アオイトトンボ (写真)だの、アジアイトトンボだの (写真)。
「みんなで○○を応援しよう」という宣伝や雰囲気に安易にのらないほうがおもしろい。 子供のころ、東京にいながら阪神ファンであることを小さな誇りにしていた。 江夏と田淵の黄金バッテリーの時代だ。 神宮球場で見た江夏は圧巻だった。外野へのライナーをバレンタイン(という選手が1年だけいた)が後逸し、 走者は3塁へ。そこから後続の打者を連続三振に切ってとったのを覚えている。
午前中から昼をまたいで午後まで続く会議のために東京へ。 昼食持参なので、早めに出て駅の近くでパンを買うことにする。 トレイにパンを載せ、レジに並んだところで、いつもメガネ紐で首にぶら下げている老眼鏡が ないことに気がついた。老眼鏡なしでは会議の資料がまったく読めない。 会議に間に合うには、18分後の電車に乗る必要がある。家と駅は片道歩いて10分。 会計を済ましてから走って往復すれば間に合う。じりじりしながらレジの順番を待ち、会計を済ませたら パンを持って走りだす。あと15分。家まであと1分ほどのところで、どこに老眼鏡を置いたか考える。 家の中でまた探し回るようでは間に合わない。そこでもしやと思い、背中のザックの中を覗いたら、 老眼鏡が入ったメガネケースがあった。 ここまで無駄に走ってしまったという徒労感と、あと1分(往復2分)走る距離が減ったという安堵とが 入り混じった複雑な気分。
これに類する失敗をよくやる。なにかを忘れた・なくしたと思っても、慌てずに本当にないのかよく探すこと。 反省材料とするために記録しておく。
今日は献血。私でも人の役に立てると実感できる日だ。 真夏と真冬、血液が不足しがちな時期に職場に献血バスがやってくる。 このまま年2回のペースで献血を続けると、ちょうど60歳の定年前の最後の献血で60回となる。 エージシュート。
クサギの花はまだ咲いている(写真)。
草地を歩くとバッタのたぐいがいろいろ跳ねる。着地点あたりをじっと見るとバッタが見つかる。写真はたぶんヒナバッタの幼虫(写真)。動かなくても目立つのはツマグロヒョウモン(写真)。そのうえ翅を開閉するのでなお目につく。どういうつもりか (正確には「どのような適応的な意義があることにより、このような翅の開閉行動が進化したのか」)。
一般紙がなかばスポーツ新聞化した二週間が終わる。気持ちが・応援が・仲間が・挫折からの再起が・日本選手が…という話、 それも分かりやすく作られた物語ではなく、深い技術論なら読む気がするが。
朝、職場の構内の林を散歩していて出会ったシマヘビ(写真)。
これからの人生で今日は一番若い日だとは、よく言われることだ。なんでも年齢のせいにするのを戒め、前向きに生きることを励ます言葉だ。 一方、これまでの人生で、今日の自分は一番経験豊富なはずだ。経験と若さを兼ね備えた今日。すばらしい。 そんな日のスタート、コンビニに寄ってコーヒーを買った。後ろの座席の荷物を整理してから乗り込んで走りだしたら 屋根の上で何やら音がした。ルームミラーで振り返るとなにかが道路にころがっている。荷物の整理をするときに屋根に載せたコーヒーだ。 そのままなかったことにして走り去りたかったが、ひと回りしてコンビニの駐車場に戻り、空になったカップと蓋を回収してゴミ箱に捨てた。 こうしてまた、新たな経験を積むことができた。 道路と車に残ったコーヒーは夜から降りだした台風7号の雨が洗い流す。
トンボシリーズ。 マイコアカネのオスの正面顔 (写真) 青白いところを、おしろいを塗った舞妓さんの顔に見立てた名前らしい。
アジアイトトンボの交尾(写真)。
ショウジョウトンボのメスかと思ったが、腹部先端の構造を見ると、未熟なオスのようだ (写真)。 今の時期でも未熟な個体が出るのか。
暑さのピークは過ぎてしまったのか。せっかく新規導入したエアコンの出番がほとんどないままに。
書棚の整理をしているときに目についた枕草子を手にとってみた。開いたところの第23段。 「たゆまるるもの 精進の日のおこなひ。日遠きいそぎ。寺に久しく籠(こも)りこもりたる。」 →「ついつい怠けてしまうもの (略) 締め切りまでだいぶ日があるしごと(略)。」 いやまったく。平安時代から変わらない真理だ。
シラカシのまだまだ小さくて未熟なドングリ (写真)。ほとんどお皿のなかに埋まっている。 ガガイモの毛深い花(写真)。雌しべがひょろりと伸び出している。
甘い香りのクサギの花にやってきた、おそらくクロアゲハ (写真1、 写真2)
タイサンボクの幹で鳴いていたツクツクボウシ (写真1、写真2)。
キハギの花 (写真)。黄色いハギではなくて、木のハギ。 そこに来ていたハチは、調べたところたぶんトモンハナバチ(写真)。
スズバチ (写真)に、 ツマグロヒョウモン(写真)。 ジョロウグモの幼体を逆光で撮ると、脚がガラス細工のようだ (写真)。 淡々と夏の絵日記を記すばかり。
この前の冬についにエアコンを導入し、部屋が温めるのに活用した。 屋外の空気の熱エネルギーを温度勾配に逆らって室内に取り込むために電気を使うのは、 電気エネルギーそのものを熱エネルギーに変換するよりも効率的だというのを実感した。 夏も楽しみだと思っていたが、実はまだほとんど使っていない。8月になってから稼働時間ゼロ。 室内の気温が 32度ぐらいでも、窓から外の風が入ってくればじゅうぶんに過ごしやすい。 冷房するよりもビールはずっとうまい。
ワレモコウが咲いている。その先にとまったナツアカネ (写真)。 クサギも咲いて、甘い香りを漂わせている(写真)。
出番を待つカラスウリのつぼみたち(写真)。 その葉を食べるのはクロウリハムシ(写真)。
雨に濡れたタイサンボクの未熟な実(写真)。 地味な図柄だが、これはこれでおしゃれではないか。
タラノキが咲いていて、その花序にベッコウハゴロモがいた (写真) これも渋くて小粋だ。 こんなデザインを使った服だのアクセサリーだのはどうだろう。
ゴイサギが一週間ぶりぐらいに定位置にもどった (写真)。元気でしたか。 それとカワセミ (写真)。 なかなか顔にきちんとピントが合った写真が撮れない。
筑波の西武が閉鎖だという。5階のリブロもなくなるということか。 有朋堂が廃業し、LALA のくまざわ書店が閉じ、もう投げやりな気分だ。
朝、一時的に強い雨が降った。その雨に叩き落とされたのか、池に落ちた虫にアメンボがたかっている。 重なりあってよくわからないが10匹ぐらいのアメンボが群がっているのはシオカラトンボのメスか、未熟なオス (写真)。 アオバハゴロモは独り占め (写真)。
ショウジョウトンボはきれいに赤い (写真)。
夕方から咲き始めるカラスウリ (写真1、写真2)。 さわやかな甘い香りがする。 翌朝にはしぼんでしまう。