グラウンドの隅にキジがいた (写真)。 歩きながら地面をつつく。何を食べているのか。
樹上のハシボソガラス (写真)と ハシブトガラス (写真)。 額のはりぐあいが違う。
家には数千冊の本があるが、これまでに処分した本も数千冊だろう。 処分した本の中に、ふと思い出して眺めたくなるものがある。 その本自体が読みたいのか、その本を読んだころの気持ちを取り戻したいのか。
年齢を重ねると、思い出した本が何十年も前に発行されたものだったりする。 当然絶版になっているが、それでもネットで探すと古書がみつかることもある。 一度機会を失するとそれっきりになるなと思って買ってしまったり、きりがないぞと思って自重したり。
これからの人生で読める本はたかだか数千冊だと思うと、人生の限りあることを感じる。 自分にとってつまらない本は読まないようにしよう。
ルリビタキはいつもの場所にいた(写真)。 それぞれに縄張りを作るのだそうだ。
どうなるか心配だった仕事がどうにかなりそうになってきたので、 どうなるか心配な次の仕事にとりかかる。
はじめてルリビタキの姿を撮った(写真)。 シラカシの木立の縁のあたりの地面をうろつきながら落葉をひっくり返したりしていた。 雌のルリ色は尾のあたりだけだが、それでもきれいだ。 やがで、切り株の上にちょこんと乗った(写真2)。
小さな池の水面に枯れヨシが映っているモノトーンな風景 (写真)。 ヨシと水面の境界、左側 1/4 ほどのところに小さくカモが写っている。 他の写真では緑の翼鏡が小さく見えているので、コガモの雌か (写真)。 同じ池には、前のシーズンもコガモが来ていた ( 2016年4月の写真)。
この時期、シジュウカラがヨシの茎をつついて中の昆虫を探す(写真)。
このごろ、虚栄心や名誉欲がなくなってきた気がする。それだけ楽に生きられるけれど、 際限なくだらしがなくなるかもしれない。
NHKの山口発地域ドラマ 「朗読屋」で、 妻に去られたあと夜眠れない主人公(吉岡秀隆)が24時間あいている図書館に行き、 本の貸出しの手続きをしながら「夜の図書館で働くってどんな感じですか?」と司書(吉岡里帆)に尋ねた。 その答えの最初の一言「本好きにはたまりません。」というフレーズが、本好きにはたまらなかった。 なお、撮影が行われた萩市立須佐図書館は、本当に24時間入れるようだ。 通常の開館時間は9:30から18:00だが、 「須佐図書館カードをお持ちの方は、無人開館部分の利用は24時間可」とのこと (利用案内)。 これはたまりません。
家の庭で、すこしまえからヘレボルスが咲いている (写真)。 いかにも花弁に見えるのは萼片で、雄しべなどが散ったあともながく残る。
咲き始めたウメ (写真1、 写真2)。まだほとんどがつぼみだ。 夏にたくさん花を咲かせたユリノキの枝には、種子を飛ばしたあとの実が、これもたくさん残っている (写真1、 写真2)。去年、この木の花で ジョウカイボンを見たのだった (写真)。
職場の構内の池でたまにみかけるマガモは、なかなかまともに撮れなかった。ようやく撮れた1枚 (写真)。
無理やり仕事で使っているプログラミング言語 Python にだいぶ馴染んできた。 行頭のインデントで制御構造が表現されるのも、見慣れればなかなかよいものに思えてきた。 どのみち見やすいプログラムのためにインデントするので、それに加えて括弧で囲ったりして構造を示すのは冗長でもある。 言語そのものは数日で慣れたが、さまざまなライブラリの使い方の見当がつくまでにはまだまだ。
今朝の月(写真)。19.5日まできた。
ジョウビタキの雄 (写真1、 写真2)。 大陸へと帰るまで、まだしばらく筑波で暮らすはずだ。
茂みのなかのシロハラ(写真)。 ツグミの仲間の中では、ずいぶん警戒心が薄い。
切羽詰まっていることに変わりはないが、相も変わらぬ花鳥風月日録。ただし花はない。
早朝の月、月齢 18.5日(写真)。よく晴れた朝が続く。
ひさしぶりにヤマガラを見た (写真)。 コゲラはこんなに細い枝もつつくのか (写真)。 先日の写真に輪をかけて細い。
あいかわらず鳥見日記だ。いろいろ切羽詰まりながらも、どうにかなっている…のか?
統合地球環境学研究所の地球研ニュース、最新の 63号はトイレ特集、「地球研の研究者がフィールドワークでトイレした!」。 ついつい全部読んでしまった。
月齢が進んで月の出が遅くなり、早朝も月が空に高く残っている。昼と夜の境目付近、凹凸の陰影が強調される場所が日々移っていく。 (16.3日、 17.6日)。
16日のつくばの朝の最低気温は -7.3度と、この冬一番の冷え込みだ。前の冬も -7度を下回ったことはないようだ。
朝、細いシラカシの枝につかまっていたコゲラ (写真)。こんな細い枝でもくちばしを打ちつけていた。 2羽のハシボソガラス(写真)。 しばらく前から、カラスを見るとハシボソかハシブトか意識して見分ける努力をしている。 くちばしの太さ、おでこの形、鳴き声、鳴くときの姿勢などが識別ポイント。
いろいろ切羽詰った感じがしてきた。月は満ちてきたし (写真)。 関係ないけど。昨夜の月齢は 14.3日。
朝は -4.0度まで冷えた。コケにおりた霜が解けていないところが白く見える (写真)。 拡大すると霜の決勝が見える (写真)。
いつものところにいたアカハラ(写真)。
霞ヶ浦周辺の調査のときに撮った写真を何枚か。 上空をミサゴがぐるぐると旋回していた (写真)。
スズメ(写真)。 群れ飛ぶ姿は美しい (写真)。 田んぼに群れが降り立っているが、背景にまぎれて見えにくい (写真)。 同じ写真に、一個体ずつマークを付けてみた(写真)。 全部で31個体みつけた。
カシラダカの体色も枯れ草にまぎれる (写真)。
蓮田で餌をさがすして歩き回るハクセキレイ(写真)。
電線にならんだカワラヒワ (写真)。
ぎりぎり空に明るさが残るうちに作業が終わった。ちょうど富士山の方向に陽が沈んだ (写真)。
開花の記録のために、家のランたちの写真を載せる。オンシジウムは3年めになったか (写真)。ひとつひとつの花を見ると、人が踊っているようだ (写真)。 新しく買ったシンビジウム(写真)。 アップで見ると帽子をかぶった人のようだ (写真)。 2年めのパフィオペディラム(写真)。 買ったときは花が1つだったが2つに増えた。
あとは職場の構内の鳥たち。いずれも常連だ。 池から飛び立ったアオサギを慌ててとった (写真)。 暗い背景で、アオサギは正面から太陽の光を受けている。優美というよりは、なにやら恐ろしげな雰囲気があっておもしろい。 ヒノキにエナガの群れがいた。その忙しげなこと。動く気配と声はそこらじゅうから伝わってくるが、なかなか全身の写真が撮れない。 やっと撮れた一枚(写真)。 コゲラはメタセコイアの枝のコブになったところをさかんにつついていた (写真)。 メジロは、アカマツの樹脂が出ているあたりをつついていた (写真)。 あとはモズの雌 (写真)。
朝、職場の構内で見かけたアカハラ (写真)。 字面だけ見るとハラスメントの現場を目撃したようにも読めてしまうが、ツグミの仲間の鳥のほうだ。
年末年始は忘れていたが、締め切りがいろいろと迫ってくる。
日本老年学会、日本老年医学会が、高齢者の定義を75歳以上とすることを提言したという ( 提言の概要)。自分は年相応にということをまったく考えていないので、 どう定義されようと関係ないが、年寄り扱いしてもらえると気分的に身軽な気はする。 この提言では65歳から準高齢者(pre-old)、75歳から高齢者(old)、90歳から超高齢者(oldest-old、 super-old)としている。「超高齢者」は、「後期高齢者」よりも突き抜けた感じがしてよい。
2017年は、21世紀になって3回め、2011年以来の素数年だ。この次は10年後の2027年、そしてその2年後の2029年も素数だ。 双子素数。少し先になるが、2080年代はすごい。2081, 2083, 2087, 2089と、10年間に2組の双子素数が含まれる。 残念ながら生きて迎えることはむずかしいだろうが。2080年代の次にこんなことが起こるのは3250年代で、1000年以上 待たないといけない。
酉年の最初は鳥の写真、といっても年末に撮った写真だが、3種盛り合わせ(写真)。 動と静の組み合わせ。
年末年始は、連れ合いと義母のところに行ったほか、家の中の片付けだの DIY だの庭の手入れだの。 使えるけれど使わないものの存在は、使うものを見つけにくくするばかりだ。容赦なく捨てる。