元気が出ない情報ばかり見ているとますます元気がなくなるので、 状況を確認したら気持ちを切り替える。
庭のレンギョウはチョウセンレンギョウか(写真)。 黄色がまぶしい。 庭のすみでいつのまにかムラサキケマンが咲いていた (写真)。どこから来たのやら。
家のなかでは5年あまり前にもらったランの Encyclia の花が咲き始めた (写真)。 この花はお茶のような香りを漂わせる。 以前の写真を見ると小さな株だが (写真)、 今はこの5倍ほどにになって、花茎を年に3本出してたくさん花をつける。
庭のブルーベリーの花(写真)。 このように下向きで開口部が狭い花は、ハナバチ類がよくとまって口吻を突っ込む。 庭には4株のブルーベリーがあり、うち1株は毎年 よく実をつける。残りの3株は最近数年に植えたものでまだ小さく収穫もわずかだ。将来に期待している。 収穫は7月ごろで、年によるが1キロ前後採れる。ブルーベリーのほか、ラズベリーも少し採れる。 収穫した実は冷凍しておき、何回かに分けてシロップにして朝のヨーグルトにかけていただく。 白いヨーグルトに濃い赤紫のシロップをかけた様子を思い出して、少し元気が出てきた。
なおもしつこく先日の植物園に行ったときの写真。 まずはウグイスカグラ (写真)。スイカズラ科。 アケビはなかなか光の当たり具合がよい花がなくて、こんな程度のものしか撮れず残念 (写真)。 右の赤っぽい花弁の花が雌花で、つんつんと突き出た雌しべがアケビの実になる。 左に20個ほどあるのは雄花で、色が濃い部分は花粉が入った葯。
ムラサキケマンがたくさん咲いているところがあった(写真)。 もう一枚、トサミズキ (写真)。 ヒュウガミズキよりもひとつの花序につく花の数が多い。 トサミズキのほうが花がドサッとつくと覚えたのは40年ぐらいむかしのことか。
あれはいつのことだったか、つくば市中央図書館の前の遊歩道を歩いていたら、図書館と連続している美術館(茨城県近代美術館つくば分館)の 北側の歩道に、いくつかおしゃれ風屋台のようなものがあり、楽しそうな服装の人たちがいた。テレビカメラらしきものを持っている人も いて、なにかの撮影かなと思ったが、なんだかよく分からなかった。そのまま忘れていたが、今朝、突然判明した。 きょうから始まった朝ドラの最初のほうの、ミュージカル風のダンスシーンの撮影だったのだ。 これあそこだよな、とわざわざ歩いて確かめに行ってしまった。 この撮影がいつのことだったかは記憶が定かでない。ケヤキには葉があるので冬ではない。録画を繰り返し見て手がかりを発見した。 画面右側の遠方に写っている黄色いオブジェは、去年11月の 国際つくば現代美術「周縁の美学展」の 展示作品のひとつだ。というわけで撮影もそのころと判明。 謎を解いた爽快感あり。
なおも植物園の写真の続き。シデコブシが咲いていた (写真)。 つぼみの紫色と、咲いた花の白とのとりあわせが美しい。
家の窓ガラスの外に止まっていたガは、ヨモギエダシャクだろうか (写真)。 翅の模様は個体変異がとても大きいようだ (「みんなで作る日本産蛾類図鑑」 ヨモギエダシャク)。
変わらずできることは変わらずに。
植物園で撮った写真の続き。 シロハラ(写真)。 林の下を歩きながら地表の餌を探してまわっている。雑食のようだ。冬鳥で、そろそろ大陸へ渡って繁殖する。
カタクリが咲いていた (写真)。 ツノハシバミは地味な風媒花。雄花序がぶら下がっている (写真)。雌花は冬芽の芽鱗の間から雌しべの先を覗かせる (写真)。
デマが引き金になって突然トイレットペーパーの買いだめがおきたのは1ケ月ほど前だろうか。 近頃、売り場にふつうに置いてあるのを見かけるようになった。品薄に加担したくないので ずっと買わずにきたが、 そろそろ残り少なくなってきたので1パックだけ買った。ほんとに残りが少なくなってきたんで…と、 心のなかで言い訳しながらレジに並ぶ、気の小さい自分。ほかにもいくつか品物が買い物かごに入ってたら、 トレペはついでです感が出るかななどと小賢しいことを考えたり(実際に買いたいものはあったのだが)。 いやだいやだ。
閉園していた筑波実験植物園は、屋外に限って25日から再開するとのこと。 植物園内は人口密度が低い屋外空間なので、感染リスクは小さい。 天気はいいし、さっそく行ってみた。春の花がいろいろ咲いている。 研究員の奥山さんが スタッフブログで紹介されていたアオカズラも見てきた (写真1、 写真2)。 直径 1 cm もない小さな花だが、すっきりとした姿がよい。 ラベルを見てアワブキ科だと知り驚く。
マメザクラが見頃だった(写真)。 本州中部に分布する日本固有種。 ちょうどクロマルハナバチがやってきた (写真1、 写真2)。
落ち着かない日々だ。乗り切ったあとの世の中では、体調が悪いときには無理せず休むのが当然だし、 そういうことが起こるのをあらかじめ想定しておくのも当然というのが共通認識になるとよい。 自分自身はもはやついつい無理をしてしまうような業務はない身だが。
家の近くの国道沿いで、ボケ (写真) とクサボケ(写真) が咲いている。 クサボケといっても草ではなく低木で、日本在来種。ボケのほうは中国から持ち込まれたもの。
オランダミミナグサ(写真)。 ヨーロッパ原産の外来種。 ホトケノザ (写真) は日本在来種で、世界にも広く分布する。花弁には全体に毛が生えている。 つぼみは頭のてっぺんの毛が逆だっているようだ。
現在のところ、ある人が新型コロナウイルスに感染している確率はとても小さいので、 自分が他人にウイルスを伝染させないように注意してもほとんど意味がないようにも感じられる。 これども、皆が注意することで、そのなかに低頻度で含まれる感染者からあらたな感染者が生じる可能性を小さく できるのはまちがいない。皆が感染防止行動をとらず病気が蔓延したら皆にとっての不利益となる。 これは選挙と似ている。ある一人の有権者がどのような投票行動をとるかにより当選者が左右される可能性はとても小さい。 けれども個々人の投票行動の総体で選挙結果が決まるのも確かだし、選ばれた政府のために生きにくい社会ができてしまったら 皆にとっての不利益となる。伝染防止に配慮することは、ウイルスが蔓延しない社会へ一票を投じることとも言えそうだ。
昼前に、木の苗などを買いにホームセンターに行った。そういえばトイレットペーパーは どうなっているかなと思って売り場を見たら、ふつうに積んであった。一度こうなれば、 念のために買っておこうという人も少なくなり、ますますトイレットペーパーの山は安定する。 よかった。
家のクロモジは花盛り (写真)。 ムベは芽吹いたところ (写真)。 まだクロロフィルがほとんどできておらず赤っぽい新葉と、たくさんのつぼみ。
新型コロナウイルスの「クラスター対策」についてのまとめ 「 専門家会議の「クラスター対策」の解説 ――新型コロナウイルスに対処する最後の希望」は、 どのようなデータに基づき、どのような理屈でどのような対策をとろうとしているのかが明快に説明されている。 書かれたのは弁護士さん。
春分だ。
家の裏庭に朝日が射し込み、蘚類のひょろひょろと伸びた胞子体が光っている (写真)。 近づくと、まだ短い胞子体が控えているのが見える (写真)。 先端の丸い部分が蒴(さく)で、この中で減数分裂により胞子ができる。
庭の畑の菜の花にはあいかわらずニホンミツバチがよく来ている(写真)。 頭が花粉まみれだ。すっかり咲いてしまった菜の花は花茎が固くなってきて食べられないが、虫たちの蜜源のためにそのまま置いてある。 畝はいくらも空いているので、春作のカブなどを植える場所には困らない。
そのほかの庭の春の動き。アセビは花盛り(写真)。これは赤花の園芸品種。 ヒュウガミズキは花芽がしだいにほころんできた (写真)。 ヒカゲツツジの花芽は膨らんできたところ(写真)。 近いうちに花が顔を出すだろう。
9年前のいまごろは、地震、津波、原発の事故と放射能汚染、交通機関や生産・物流のストップ…と、この先なにが どうなるのかという不安な日々だった。それでも季節は春となり、花が咲いた。 花の写真など撮っている場合かという気もしつつ、カメラを持って外に出れば気持ちが落ち着いた。 そんな日々を思い出す。
芽吹きはじめたクロモジ (写真)。 前夜の雨の水滴が朝の光を受けて光っている。 こんな絵が撮れるので、雨上がりの朝は好きだ。
夕方、家の近くにいたオナガ (写真1、 写真2)。 もう薄暗くなりはじめていて光の具合がよくないし、私有地内の木に止まっていて 好き勝手に近づけないしで、なかなか思うような写真が撮れなかった。残念。 カラス科で、人間の感覚では美声とは言い難いが、見た目はかっこよい。
少し前からタチツボスミレが咲いている (写真)。 まったくの普通種だが、早春に出会うと季節を感じてうれしい花だ。 キュウリグサの花は、直径せいぜい2ミリほどで気づきにくい (写真)。 こどもが絵に描きそうなかたちの花だ。
ヒメオドリコソウ (写真)。 ヨーロッパ原産で、100年余りまえに入ってきたようだ。早春の花として すっかり定着してしまった。
ブロッコリーの花を順光で撮ったり (写真) 逆光で撮ったり (写真)。 はっきりしすぎない黄色がよい。
街路樹のハクモクレン(写真1、 写真2)。 遠くからでも白い灯りがたくさん浮かんでいるのが見える。 中国原産。
以上、早春の絵日記のなかでもともと日本に生えているのは最初のタチツボスミレとキュウリグサ。 あとは人が持ち込んだり育種したりしたもの。
ミドリハコベの花(写真)。 5枚の花弁それぞれに深い切れ目があり、10枚あるように見える。
庭のヒュウガミズキの花芽がほころびはじめた (写真)。 よい色だ。
きょうは、庭の菜の花にニホンミツバチがたくさん来ていた(写真)。 人気があるのはうれしい。
庭の畑ではまだ菜の花やブロッコリーが毎日採れている。どちらもアブラナ科。 花が咲いてしまったところはあきらめつつ、採れるところを採って食べる。
菜の花に来たモンシロチョウ (写真)。 越冬した蛹から羽化した個体。 短歌ではなく俳句の世界の話になるが、春(晩春)の季語に「菜の花蝶と化す」があるのを知った。 菜の花の花弁が風に舞い蝶となるというイメージ。それならモンシロチョウではなくキタキチョウやモンキチョウだろう。
菜の花の化したる蝶や法隆寺 (松瀬青々)
家の居間のランの花を何枚か。 デンドロキラムの花は満開 (写真)。今年は花茎がぜんぶで17本出てくれた。 ひとつひとつは数ミリの花が集まった花茎が垂れ下がり、寄って見れば絢爛たる世界だ (写真)。 被写体の背後から光が来るようにアングルを選ぶ(逆光で撮る)と、陰影のある絵になる (写真)。
ほかのランも、順光と逆光で撮ってみた。 シンビジウム(順光 と逆光)。逆光の写真はなにやら妖しげな雰囲気が感じられる。 続いてセロジネ(順光と 逆光)。 これも逆光のほうが陰影があるが、シンビジウムほどの妖しさはないかも。 赤いカトレヤ (順光と逆光)。 感じがだいぶ変わる。 ピンクのデンドロビウム (順光と 逆光)。 さいごにパフィオペディラム(順光と 逆光)。 かたちを明瞭に確認するには順光、雰囲気を楽しむには逆光。 野外で自然に生えている植物の花を撮るときは、まずはなるべく順光で撮って、 それから逆光でおもしろい写真が撮れそうなら撮るようにしている。
ホトケノザ(写真)。 地面に這いつくばって、潜望鏡が並んだような姿を撮る。 立ったまま上から見下ろしていては見えない姿。
少し前に読んでいた本のなかで、「なんなら」という言葉がふしぎな使われ方をしているなと思ってひっかかった。 その著者だけのことかと思ったら、その後テレビでも続けて耳にした。 ネットで調べてみると、はたして数年前から話題になっていたようだ。 NHK放送文化研究所の 『最近気になる放送用語』のページでも取り上げられている (「なんなら」?)。 最近の用法では「しかも」「さらに」あるいは「むしろ」などの意味で使われているようだ。 とくにおもしろさや新鮮さがあるわけでもない新しい用法が、どのようなメカニズムで世の中に広がるのか。 興味深い。
散りつくすどうだんつつじたちまちに木の芽の赤みを帯びてつらなる (花山多佳子)
ドウダンツツジの葉が散る前は、紅葉が美しい。ここにも何回も載せている (写真1、 写真2、 写真3)。 紅葉のころからあったはずの冬芽に目がいくのは葉が散ったあと (写真)。 それを「たちまちに…つらなる」と表現している。 この芽がほころぶのはもう少ししてからだ。
庭のヤマウグイスカグラがもう咲いている (写真)。
昨夜、降水量が記録されない雨がぱらついたようで、朝の庭が湿っていた。 スズメノカタビラの葉に残った雨滴がきれいだ (写真1、 写真2)。
庭の畑の菜の花はどんどん咲いてしまう (写真)。 ハチやアブ・ハエたちには喜ばれている。暖かい日は黄色の光のなかから羽音が聞こえてくる。 ニホンミツバチ (写真)、 ナミハナアブ (写真)、 クロヒラタアブ(写真)、 ツマグロキンバエ(写真)、 アシブトハナアブ(写真)。 菜の花とおなじくアブラナ科のナズナにも小さなハナアブが来ていた (写真)。