4月6日からはじめたジョギングは、今日で通算100日。故障しないようにはじめは控えめの距離で、 一日走ったら2,3日休み、脚に違和感があったらすぐにペースダウンするなどして、徐々に 体つくりをした。やがて連日走っても違和感もないし疲れも残らないようになった。 何歳になっても体は使えば鍛えられるものだ。
ちいさなハナアブ(写真)。 成虫で越冬するらしい。
来週は人間ドック。
今朝も畑で朝露が光っている(写真)。
オオアオイトトンボ(写真)。 同じ個体を反対側から撮ったら、光の当たり具合で色の感じがちがって見えた (写真)。 オオアオイトトンボは水面の近くの木の枝に卵を産み付ける。卵の状態で越冬し、春、孵った幼虫は下に落ちる (のだそうだ。自分で実際に見たわけではない)。
今年の春に種子をまいたアスパラガスはだいぶ成長した(写真)。 小さな花をつけているのが見える。 数ミリの花だが、近寄って見るとなかなか上品な美しさがある (写真)。
私は自分の注意力を信用していないので、なにかをうっかりしても大きなトラブルにならないように、 いろいろフェイルセイフの工夫したり、安全確認をルーチン化したりしている。 たとえば朝、土鍋でしばらく米を水にひたしてから火にかける際、ちゃんと米と水が入っているか念のため 土鍋の蓋を持ち上げて確かめること。ここ10年来ずっとやっていたのだが、そのあいだ、おかげで米や水の 入れ忘れに気づいたことはなかった。さすがにこれは大丈夫かなと思って数ヶ月ぐらい前からこの確認を 怠っていた。そうしたら油断を待っていたかのように失敗する自分。土鍋に米を計って入れたところで、 水をいれる前に他のことに注意が行き、そのあと洗ってあった土鍋の蓋が目に入り、ぱっととって鍋にのせた (のだろう。あとから思うに)。コーヒーをいれて新聞を読み、台所にもどって火をつけ、朝食の支度を始める。 だいたい5分ぐらいで蓋のすき間からポコポコと泡が出はじめるのだが、その気配がない。変だなと思ったころ に焦げくさい匂いがただよってきて失敗に気づいた。
教訓1。やはり自分を信用してはいけない。教訓2。これまで失敗しなかったことは、これから失敗しないことを保証しない。 ここに記して戒めとする。
左眼は外傷性白内障で近視、右眼は老眼で遠くはよく見えるが近くは見えないという状態がここ数年 続いていたが、しばらく前から右眼で遠くが見にくくなってきた。 視力がよいことを自分のアイデンティティのひとつだと思って生きてきたので、 ちょっとめげる。見やすい距離だとしっかりピントは合うので、網膜は元気なようだ。 左眼の近視は、メガネで調整がつくならそれでよいでしょうと言われたのが1年半ほど前。 また眼科に行って相談してみるか。 視力のほか、背が高いこと、腕が長いこと(身長に対する比率でも)、足が大きいこと(長さだけでなく幅も広い) ことなどもアイデンティティだと思っているが、身長は加齢とともに少し縮んできている。 足も縮んでくれると靴が買いやすくてありがたいのだが。 幅はワイドないしスーパーワイド、長さは29センチぐらいとなるとなかなか合う靴がない。
いろいろと体の不具合が溜まっていくのはうれしいことではないが、 そもそもあとたかだか数十年で心臓が止まることはたしかだ。 それで憂鬱になっていては、せっかく生きている時間がもったいない。 眼にしても、光情報によって外界の状況の把握はおおむねできているし、 本やディスプレイの字を読むのに支障はない。ありがたく光情報を活用しよう。
庭の畑のカリフラワーの葉にたまった朝露の水滴(写真)。 朝の畑の楽しみのひとつだ。
家の居間の窓にはりついていたブドウトリバ (写真)。 トリバガの一種。ガをもう一種、これも居間の窓にいたチャドクガ (写真)。
時間がたくさんあるようでいて、やる必要があること、 やる習慣になっていること、決まってはいないけどやりたいことなど、 あれやこれやで1日があっという間に過ぎていく。
きょうは午後から植物園へ。 先々週、少し離れたところから撮ったゴンズイの実の写真をあとから見たらアカスジキンカメムシの終齢幼虫が写っていた。 今回、意識して探したらすぐに見つかった (写真1、 写真2)。まだ終齢幼虫のまま。 成虫は名前のとおり赤筋だ (>以前に職場の緑地で撮った写真)。
ユキノシタ科のジンジソウが咲いている (写真)。 丸っこい葉と、長い花茎の先の花と、全体が写るように撮ると花が小さくなる。 花のアップ(写真)。 名前のジンジソウは人字草で、この花を漢字の「人」に見立てたものらしい。
16日というと以前は給料日だった。 ということとはまったく関係なく、久しぶりに庭の手入れ。 何ごとも長期的な視野で対処するのは容易なことではない。 自分に直接関係がないことならいくらでも大所高所からの議論ができるが、 目の前の事態にはつい近視眼的に対応しがちだ。というわけで、 庭木はついつい密に植えてしまう。やがてそれぞれが元気に茂ってくると、 押し合いへし合い状態になる。すまなかったと詫びつつ刈り込んで整理する。
前の冬に明るいところに移植したコムラサキが、移植のストレスにもめげずに 枝をどんどん伸ばし花を咲かせた。今は実の季節(写真)。
チジミザサの花序を逆光で撮る (写真)。 イネ科の花はよく見ると美しい。
庭にいたアカヒメヘリカメムシ (写真)。 ナツアカネの成熟した雄は、アカネの仲間のなかでもまさに赤とんぼという感じで顔まで赤い (写真)。 学名はSympetrum darwinianumで、ダーウィンへの献名。学前がつけられたのはダーウィンの死の翌年の1883年。 これまで動物の学名で、ダーウィンにちなんでつけられたものがどのぐらいあるか調べた人がいて、 全部で301個みつかったとのこと ( How many Darwins? - List of animal taxa named after Charls Darwin)。
ここしばらく、日本全体での新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)の日々の新規感染確認者数が おどろくほど安定している。曜日による変動はあるが、平均して1日あたり500人程度。 多くの人が感染防止を気にしなければどんどん増えてもおかしくないし、多くの人がめいっぱい感染を避ければ 緊急事態宣言中のように急激に減らすことも可能。それがこの2ヶ月半ほどほぼ安定し、実行再生産数がとても 1に近い。なんらかの負のフィードバック(増えたら減らす方向、減ったら増やす方向になんらかのコントロール が働く)が働いていると考えないと、かなり不思議な現象だ。集団全体のなかで状況を見ながら楽観的に動き出す人、 慎重にこもる人の数の増減が負のフィードバックとして働いているのかもしれない。 このメカニズムが機能するには、人々のあいだに判断の多様性があり、かつそれぞれの判断が全国の感染状況を見て なされいていることが必要だ。ありそうなことだ。
植物園で撮った写真の、さらに続きでクモ2種。 マミジロハエトリ (写真)。 ハエトリグモの仲間は眼が魅力的だ。 8個ある眼のうち中央のふたつが大きい。 もう1種はワカバグモ (写真)。 小さな8個の眼が密集している(頭部の茶色いぶつぶつ)。
だいぶ髪が伸びてうっとうしくなったので、ひさしぶりに散髪。 雨で外出する気になれない日の作業にちょうどよい。 前回の散髪から3ヶ月余り。日数を計算したらぴったり100日振りだった。
6日に植物園で撮った写真の続き。 ホバリングしながらカラミンサの1種の蜜を吸うホシホウジャク (写真)。 頭部の毛が擦り切れてはげている (写真)。 (以前に撮った本来の姿>写真)。
ミツデカエデの葉のうらにじっと止まっていたウスマエグロハネナガウンカ (写真1、 写真2)。 翅の長いウンカ、ハネナガウンカ科の1種。 翅の前縁が黒いマエグロハネナガウンカというのがいて、それと比べて色が薄いので ウスが付いてウスマエグロハネナガウンカ、ということだと思う。13文字。 ウンカは秋の季語。
ウスマエグロハネナガウンカ時を待つ
なにを待っているのか分からないが、無念無想で時が至るのを待っていそう。
先週、久しぶりに筑波実験植物園に行った。 池のまわりなどでヒガンバナが花盛りだった (写真1、 写真2)。
シソの花にいた虫シリーズの続き。 ツマグロキンバエ (写真1、 写真2)は何度見ても複眼の模様が印象的。 そもそも眼に模様があるということがすごい。 ニクバエの一種 (写真1、 写真2)。 どこかしらSF的な雰囲気を漂わせる。
ウイルスは、警戒と緩みとが混在するなかで一進一退。
シソの花はほぼ咲き終わったが、撮ってあった写真の続き。 ハチを4種。 キンケハラナガツチバチ(写真)、 ルリチュウレンジ(写真)、 セグロアシナガバチ(写真)、 ミカドトックリバチ (写真1、 写真2)。
昨日で9月が終わった。つくばの降水量は、8月に続いて9月も平年の半分以下だった。 目の前に家の畑があると、乾き具合はつねに気になる。 土のそばで暮らす楽しさでもある。