庭のサンシュユがなかなか花が咲かなかったが、やっとこの冬、ぱらぱらと花芽をつけた。 ここ数日の暖かさで芽がゆるみ、苞のあいだから黄色い蕾が見えはじめた (写真)。
メールなどでの打ち間違いや誤変換はよくあることだ。 単なる誤変換なら音にすれば簡単に分かるが、 ローマ字で打ちまちがえたものを漢字変換すると難易度は上がる。 昨日もらったメールの「根菜……会議」にはちょっと頭をひねったが、 国際……会議だと推定(あとで確認)。konsai とkokusaiはだいぶ違うが、 「根菜」のほっこりとした感じに心がなごんだ。
金曜いっぱい締め切りの原稿2本を1日遅れて本日入稿した。すみません。遅れ癖がつかないように要注意。
きょうも入れて管理職任期はあと399日。 もう399回寝ると私の正月だ。
そんなに楽しみにしていたのに、任期終了を前に交通事故で… となったらあまりに切ない。 しばらく前から自転車での通勤時はヘルメットをかぶることにした。
あちこちに春を感じる。ネコヤナギの花穂 (写真)。
折々の写真からに、 最近の写真を加えた。 (通勤:12〜2月、 庭:12〜2月)。
気がかりなことがひとつあると頭から離れない。 気がかりなことが10個もあるとひとつひとつを深く悩む時間もなく、 かえって気が楽だということに気がついた。 だからといってわざわざ悩み事を増やすことはないが。
今日の午後から1日半のお休み。気散じなり。
日曜の朝、 フキノトウ(おとといの写真)を天ぷらにして、 そばと一緒にいただいた。 揚げたての衣のなかの春の苦みを噛みしめるよろこび。 フキが生えている面積はたぶん1坪もないけれど、この春はすでに40個ぐらいの フキノトウを収穫できた。
職場の構内で、今年最初のアセビの花を見かけた (写真)。 陽射しのなかで、スズランのような白い花が光っている。 開いているのはこの枝だけだが、他の枝のつぼみも遠からず開くだろう。
今週半ばに1日半の休みをとる予定。時間を天引きしてしまって、 残りの時間でなんとするしかないと思えばなんとかなる。
よく晴れた今朝は放射冷却で葉に霜の縁取りがついた (写真)。 それでも春は近づいている。 シロヤシオ(ツツジの仲間)の冬芽はわずかに膨らんだ気がする (写真)。 しばらく前からフキノトウが顔を出している (写真)。 今夜は今シーズン3回めのフキノトウの天ぷらにしようか。
室内のドラセナの鉢に、勝手にいろいろなシダが生えてくる。 やはり室内で育てているシダのほか、庭に生えているシダの胞子も飛んでくるようだ。 今、ホシダの葉が展開している。 (写真)。
以上、本日の絵日記でした。世に憂いなきがごとし。されど…
きのうは起きたら白い雪景色。庭の木々がそれぞれに雪をかぶっている (ヒュウガミズキ)。 この冬はよく雪が降る。
今朝は一転して晴れて冷え込み、霜が降りて白い。
日曜は、今週金曜締め切りの書類を余裕で提出。昨日は、昨日締め切りの仕事を夕方までに処理。 本日は、本日締め切りの仕事を終わらせる予定。あとは何だっけ? 当面は続く綱渡り。
昨日は献血。記録によれば、これまでに40回余り献血をした (昔は400ml 献血すると2回にカウントされたので、実際に針を射した回数はもっと少ない)。 確かに人の役に立っていると感じられる、数少ない機会だ。
14日の雪の写真は、露出オーバーになるように 補正して撮影した。でないと雪景色の白い感じが出ない。 クロッカスの白い花(前とは別の写真)も 同様に補正して、早春の輝き的な雰囲気を生かしてみる。
昨夜の雪が、樹上に残っていた (写真)。 やがて晴れてきて、すぐにみな消えてしまった。 庭の隅っこではクロッカスが咲いている (写真)。
過去の生態学会全国大会の記録が事務局から送られてきたので、 大会の文書アーカイブに掲載した( 大会開催地一覧)。 参加者数の変遷のグラフも描いて載せた。 1954年、第一回大会の参加者が130人ほどで 全員の集合写真が残っている。 私が参加しはじめたころは500人前後だった。 参加者の半分ぐらいは知った顔だと言う人もいた。 今は昔の話だ。 最近の急増ぶりはめざましい。 ほどよい規模で、ゆっくり議論できる集まりも欲しい。
ジンチョウゲのつぼみがだいぶ膨らんできた (写真)。 朝が早いので霜が降りている。
昨夜は少々雪が降り、今朝は晴れ。朝7時の気温が -5.6 度と冷え込んでいるので、 日が射してもすぐには雪がとけずに光っている (写真)。
昨日の会議の資料に人事委員会などの重要会議の来年度の日程が載っていた。 この日程を消化したら、管理職の任期も終わることに気がついた。 ついにゴールが見えた。胸が熱くなった。
職場の敷地に入ったところから本館まではユリノキの並木になっている。 今、冬枯れのユリノキの樹上に実がたくさん残っている (写真)。 花は5月ごろに咲くが、木の上のほうなので目立たない (写真1、 写真2)。
私が死んだあとのネット上の文書の行方を考察した一昨日の「様子」に対して、 死んだあとのことを心配するなどよくない、そういうことは後の人に任せればよい、 とのコメントがあった。もちろん、とっておく価値があるかどうかの判断も含めて あとは人任せだ。ただ、このサイトは契約の更新をしないとたちまち サーバ上から消去されるので、後の人が見て分かるところにバックアップのCDぐらい 残しておいて、いらないと思えば捨ててもらえばよいかな、という程度の話。
今日から2月。 職場の構内でウメが咲いている (写真1、 写真2)。 ウメの香りは好きだ。
職場をやめる選択について考察する中で、もし余命があと1年しかなかったらどうするかを 考えてみた。まず仕事はやめるだろう。 そして楽しく遊び暮らすかというと、きっとそうはしないだろう。 何かを書き残そうと思うのではないかな。 なにかの役に立ててもらえそうな文章だの、 自分なりの考え方だの。 それらをネットに載せて… というところで、 私が死んだらどうやってネット上で維持したらよいか問題に気がついた。 この件はさらに考察の予定。