庭で、ニシキギの地味な花が咲いている (写真)。 サンショの花も地味だ (写真)。
ここ数日で大きくいじったプログラムが順調に動いている。 ういやつである。 結果が楽しみだ。
アカメガシワの新葉は、その名のとおり赤い (写真)。
最近気がついたことをメモ。研究を始めて間もないころ。自分にまったく自信がなかった。 そして、人から研究のヒントをもらうことを嫌がった。 それで研究の質が上がっても、自分の能力の証拠にならないから。 逆に、自分のアイデアが人の研究のヒントになると、 そのことを繰り返し確認しようとした。それが自分の能力の証拠になるから。 いやな奴だった。 いつの間にやら、そんな心の動きが薄れていった。 人が話の相手をしてくれることが嬉しい。 人といっしょに頭を使うことが楽しい。 それだけだ。 自信がついたわけでもないのに、なぜだろう。 二言めには評価がどうこう言われる風潮の反動か。
数日前、パン屋の向かいの電線にツバメがとまっていた (写真)。 民家の軒下に巣があるようだった。
去年3月までの管理職仲間で、今もなお管理職を続けている人に所内で行き会った。 ほんとに元気そうだねぇと言われ、笑いが止まらなかった。 この幸せを忘れないようにしないと。
コナラの花序が垂れ下がっている (写真)。 風が吹くとゆらゆらと揺れる。
私の舌の大白班は、1週間ほど私を悩ませたのち消えていった。 炊きたてご飯にキムチを載せて、心置きなくものを食べられる幸せとともに噛み締める。 キムチの酸味はかなり強烈に痛かったものだ。
口内炎を見せびらかすと、多くの人は見るだけで痛いといって目をそむけるが、 まれに、まったく痛そうな顔をしない人もいる。口内炎で苦しんだ経験がなく、 見ても痛さを連想できない人だ。まさに人の痛みが分からない人と言えよう。 なかなか教訓的だ。
庭の畑でブロッコリーが花盛りだ (写真1、 写真2)。 アブラナ科らしい十字の花。落ち着いた黄色が好ましい。 いっぽう、なんとも地味なのがホウレンソウ (写真1)。これは風媒だろう。
雨上がりの朝、花が終わったヒュウガミズキの新葉のうえで、残った雨滴が朝日を受けて光る (写真)。 コナラの新葉は毛だらけで銀色だ (写真)。 おそらく鳥が運んできたどんぐりから勝手に生えている。 ちょうど上空の空間が空いているとこに収まりそうなので、そのまま伸ばすことにする。
今週は、会議だの面接だのがいろいろ。まめに予定表を見て、忘れないようにしないと。 先日は、朝 9時20分ごろにおもむろに予定表を見て、9時30分から打ち合わせの予定を発見して走った。 まったく忘れていた。
今週の始めに、舌の横腹に大きな口内炎ができだ。何かがちょっと触ると痛い。酸味があるものが触れると痛い。とにかくいろいろ痛い。 痛みに緊張して方が凝る。早く消えて欲しい。 長さ10ミリ、高さ7ミリほどで、木星の大赤斑 (ハッブル宇宙望遠鏡の写真) のような形だ。ただしあちらのほうがだいぶ大きい。大きさは変化するようだが、長径が2万から4万キロほど。 面積にして、私の口内炎よりも 1018〜1019ほど大きい。 その正体は渦巻状の嵐で、少なくとも数百年前から存在しているらしい。口内炎は寿命でも負けている。 見た目の美しさもかなわないので、写真はとったけど掲載は見合わせる。
シダの新葉がいろいろ展開中だ。定番はワラビ。正面から見た姿がちょっとおもしろい (写真)。 もう一枚はイヌワラビ (写真)。 系統的にはワラビからだいぶ遠い。
職場の構内にはアカマツがたくさんある。毎年、立ち枯れる木が少なくない。 枯れてから間もない(一年以内程度の)アカマツにつくヒトクチタケ (写真1、 写真2)。 食用にはならない。 サルノコシカケ科のキノコだそうだ。 枯れたらすかさず取り付いて、さっさと子実体(キノコ)を作るのか、 木が生きているうちから菌は入っていて、枯れると子実体を作るのか?
職場構内の芝地でフデリンドウが咲いている (写真)。
池の端にエナガが来ていた (写真)。 そのそばに、アケビの花らしいものが見えたので近寄ってみたら、はたしてミツバアケビが花盛りだった (写真)。花弁のような3枚のがく片がはっきり見えるのが雌花で、 中心の子房が膨らむとアケビの実になる。下にあるのは雄花で、葯が目立つ。もう一枚は少し引いた絵 (写真)。
(自分用のメモ) 条件しだいでうまく計算できたりいつまでも計算しっぱなしになったりするプログラムを、 さまざまな設定でなんども動かしたい、人間がずっと見張っていてだめそうなら止めるというのは あまりに非効率だと思うが、何か手はないかと相談を受ける。 プロセスを生成したり、頃合いを見て殺したりという制御をすればよいはず。 Perl なら Win32::Process がよさそうだ。 Wait を使って、一定時間たっても戻ってこなかったら打ち切りにする。 正常終了か途中打ち切りかは、 Wait の返値で判断できる。
「そんな簡単なことはコンピュータにだってできる」という作業に人間の頭と手と時間を使うのはもったいない。 プログラミングの経験が多少ともあると、どんなことが「コンピュータにもできる簡単なこと」 なのかが判断できるようになる。それだけのためにも、プログラミングをかじってみる価値はあると思う。
赤い顔をして冬を耐えていた庭のヒカゲツツジ (写真)が、 赤みがだいぶ抜けて春の装いになってきた様子を載せたのが3月半ば (写真)。 あれから1月たって花を咲かせた (写真)。
カツラの新葉が顔を出した (写真)。 カツラは空間のなかに散るように葉が配置されるのが好ましい。 イチョウと同じで、長枝(ちょうし)があまり枝分かれせず、何年も残る短枝(たんし)に 葉が一枚だけ付くため(こんな説明では分かりませんね…)。
先日も載せたタチツボスミレをもう一枚 (写真)。 正面顔と横顔と。 横からは、少し赤みが強い距(きょ。後ろに付き出した部分)が見える。
なおも続く春の絵日記はゼンマイの新葉。 ふつうの葉 (写真)と 胞子葉 (写真)と、 どちらも毛深い。 食べるのはふつうの葉のほう。
季節のものなので桜(ソメイヨシノ)も一枚だけ載せよう (写真)。 「願はくは花の下にて春死なん、そのきさらぎの望月のころ」(西行)。 だいぶ前のこと、黄色く紅葉したカラマツが夕日を浴びている様を見て、 この下でなら納得して自然に還っていける気がしたのを思い出した。
うちの裏庭には、時間によって建物の隙間から光が差し込む。 全体に暗い庭の一部が光り輝いて美しい。イロハモジミの芽吹き (写真)も、 クロモジの芽吹き (写真)も。 クロモジの、ひとつひとつは数ミリの花が、闇の中でスポットライトを浴びているような様子だ (写真)。
私の自作プログラム CanopOn2 による解析の結果を利用したという論文を二人の方から 送っていただき、さらに別の方からは使い方の問い合わせをいただいた。これがほんの1週間のうちに集中。 CanopOn2 について連絡をいただくのは、平均して年に2、3回程度なので、 これだけの集中はかなり確率が低い偶然だ。ともあれ、自分でも何かしら人様の役に立つことがあるのだ と思って、嬉しくなる。
3日は夕方前から強風と雨。4日はよく晴れたものの、、時々強い風が吹いた。 職場構内のシダレヤナギが枝を風になびかせていた (写真)。風が見える。 芽が吹き始めたシダレヤナギの枝の黄緑、幹を登っているキヅタの濃緑、そして背景の空の青さ。
庭のエゴノキの芽吹きにカメラを向けたところでクモの巣に気づいた (写真)。 一眼レフで撮るときは 老眼鏡をはずしていることもあって、ファインダーを覗くまで気が付かなかった。 こういうことはしばしばあり、実はそこらじゅうにクモの巣があることを実感する (ここでクモという総称しか書けないあたりが、いかにも素人である)。
おなじく庭のシュンラン (写真)。日本のシンビジウム。
10人余りの顔合わせのとき、簡単な自己紹介をするにあたって「よろしくお願いします」と 言ってはいけないという縛りをかけてみた。「○○します」「○○しましょう」「○○してください」 ということを具体的に言わないといけない。 これがなかなか個性が出ておもしろかった。
ヒヨドリは、ある食べ物の存在に気付くと集中して通いつめるようだ。庭のクロガネモチの実が突然なくなるのも、 シキミの花が消えるのもヒヨドリによるものと睨んでいる。庭の畑のブロッコリーや芽キャベツの葉がボロボロに なり始めると、ほかに食べ物がない厳冬期になったなと感じられる。 うちの庭で今のお気に入りなのはクロモジの花。毎朝やってきて、ひとしきり食べていく (写真)。
ヒヨドリは鳥好きにもあまり歓迎されない。そこらじゅうにいて、声がうるさく、振る舞いに遠慮が感じられず、 姿に気品もかわいらしさもないからか。もちろんヒヨドリからしたら、そんなこと人間に言われたくないだろうが。
庭のあちこちでタチツボスミレが咲いている(写真)。 あまりに当たり前なスミレだが、淡い紫はなかなか上品だと思う。
リビング前のヒュウガミズキはいち早く朝日を浴びる (写真)。