年内はもう更新しないつもりだったが、ちょっとだけ。よい天気が続くので、庭木の剪定を少しずつ進める。 これがなかなかの大仕事で、数日で片付くようなものではない。 センダンの枝など年に3メートル以上伸びる。その冬芽が面白い (写真)。トンボの顔みたいなところが冬芽で、 チドリの模様のような白い部分は葉が落ちた跡。樹皮の皮目とあわせてみると、星空を飛んでいるようだ。
買ったランをもう一鉢、ファレノプシスの品種 (写真)。 黄色い部分が人の姿のようだ。
おととい、定年が楽しみだと書いたら、今年度いっぱいで定年ですかという質問をいただいた。 いえいえ、まだしばらく先のこと。でも、このごろの月日が過ぎる早さから外挿すると、 けっこうすぐに来てしまうかも。それはそれで楽しみだし、それまでの時間も大切にしたい。
朝からよい天気だ。近くのショッピングモールの屋上駐車場から 富士山や、日光の男体山だの女峰山だのがきれいに見えた。 ショッピングモールに行っても、立ち寄るのは本屋とスポーツ用品店ばかり。 カフェでコーヒーを飲みながら買った本を眺めるのは至福の時間だ。 定年になったら好きなだけ本が読めると思うと、とても楽しみだ。
冬枯れの庭でも、口を開いたヒメシャラの実 (写真)とか、 春を待つマンサクの花芽 (写真) とか、地味だけれど形がおもしろい被写体が見つかる。
数年前から育てている鉢植えのハーデンベルギアは、冬の開花期だけ室内に入れる。 例年、ちょうど新年の前後に咲く(赤花、 白花)が、この冬ももうじき咲きそうだ (写真)。 並んだつぼみに、せり上がるような勢いが感じられる。
この時期、ホームセンターの園芸コーナーにはランの鉢がたくさん並んでいる。 小振りなものは1,000円程度で、楽しめるのはこの冬限りだとしても気軽に買える。 ひょっとして来年も咲いたらさぞ嬉しいだろうしなどと思って、いくつか購入した。 ひとつはエピデンドラム属。花茎の先に10個以上の花が集まって咲く。 花をアップで見ると、頭に羽飾りをつけた人の顔のようだ (写真)。 香りのよいオンシジウム属もひとつ (写真)。全体が、飛び立つ鳳凰のようでもあるし、 中央の赤味が濃い部分だけ見ると人間が下向きにダイブしているようにも見える。
今年の写真の掲載はこれまでか。 1年間で 400枚以上の写真を載せたようだ。 年間の写真総目次を自動生成して更新した。
この一年、ここまで無事に過ごせたことに感謝しつつ、あと2日余りを油断せずに過ごそう。
日の出前の空を背景に、じっと枝に止まっているヒヨドリのシルエット (写真)。
火曜日は出勤したものの相変わらず風邪で体調はすぐれず、いつでも帰れるように 2日間年休を取ることにした。どうせ余ってるし。 帰る前に、頭を使わずにできることを少ししようと思って机の回りの書類などを 片付け始めたらこれが終わらず。 結局1日半にわたって片付け三昧となってしまった。
数年間、一度も見たことがない書類ならば、これから定年までのそう長くない期間に 必要が生じる可能性もほとんどあるまい。 私が捨てると地上から失われるというわけではないならば、迷わず捨てて身軽になろう。
2階の居室の窓から外を見たら、イタチがいた。窓越しで不鮮明だが、一応の証拠写真が撮れた (写真1、 写真2)。
冬至を過ぎて、これからは日が長くなる(北半球では)。
連休をおとなしく過ごして風邪を押さえ込めるかと思ったらそうはいかず。 気管の炎症はやや悪化気味か。胃腸もやや不調。 どうせ治らないならおとなしく過ごさなかればよかったとも思ったが、 それで同様に悪化したら、おとなしくしていれば悪化しなかったろうになどと思うのだろう。 対照実験なしではなにも言えないということだ。
前の週末、海岸で上を向いて撮った写真を数枚追加。 トビ(写真1、 写真2)と セグロカモメ(写真)。 鳥は飛んでいるところが魅力的だ。これも機能美か。
例年、今頃は庭のサンシュユの樹皮が薄く剥がれてくる。逆光で見ると、橙色が美しい (写真)。黒い点々は皮目(ひもく)。
アキニレの実は今年も豊作で、スズメが食事に集まっている (写真1、 写真2)。
先週半ばからどうも喉が風邪っぽい。きょうはかなり炎症が広がった感じ。 しばらく前にも同様の風邪を引いた記憶があり、自分のページを検索したら、 9月の末のことだった。 ちょうど週末で、ごろごろ過ごしたようだ。今度も連休と重なった。 計算に時間がかかりそうなプログラムを書いて、あとはコンピュータに任せて人間は休養することにする。 暖かい日中には、少しずつ庭の手入れもしよう。
朝の空の彩雲(写真)。 雲がある空は楽しい。
明日は一日東京。限られた時間できっちりしゃべる必要がある場なので、発表原稿を書いた。 その場で原稿を読むことはしないが、字数を考えながら文字にしてみることで内容が整理される。
骨休めの時の写真を何枚か。太平洋の朝焼け (写真1、 写真2)。これも、ほどよく雲があればこその情景だ。 日が昇ったあと、海岸近くの石の鳥居で休んでいるセグロカモメ (写真)。
二週間ほど前に開花した鉢植えのラン(Paphiopedilum insigne) (写真)は、まだ元気に咲いている (写真。これは斜め後ろから)。 長いこと咲いているということは、花粉媒介者がめったに来ないので気長に待つということか。
庭のネムノキに来ていた小鳥は、逆光でよく見えなかったが、望遠レンズを通してみるとメジロだった (写真1、 写真2)。
いろいろ立て込んでいるが、日・月と骨休めの予定。
雲ニ題(写真1、 写真2)。 2枚めの写真の中央部やや左下の雲は、わずかに色付いて彩雲になっているようだ。 はっきり色付いた彩雲を夏に撮っている(写真)。 雲の形は移ろいやすいが、こんな色も数分のあいだに薄れていまう。 そのはかなさが切なくてよい。
池の枯れヨシのあいだにシジュウカラがいた (写真)。
ヒヨドリが飛び立ったところ (写真)。 鳥の翼の動きを撮るのが楽しい。 撮った画像を確認するまで、どんな瞬間が切り取られているか分からないのがおもしろいところだ。
朝の池にマガモが来ている (写真)。 そっと近寄ったが、目ざとくこちらを見つけて飛び立ってしまう。カメラをカモに合わせて動かす流し撮り (写真)。次列風切羽の青が目立つ。
管理職だったころ、 事実と異なる情報を意図的に伝えることはしなかったつもりだが、 知っているけれど人には言わないことはたくさんあった。 特に人事にかかわることはそうだ。 判断のプロセスを明らかにしなければ、そのプロセスに対して批判的なコメントをもらうこともない。 そのほうが組織運営は楽だが、独善的な判断をしてもフィードバックがかからない。 こんな日常に慣れてしまうのは危ないなと感じたことを思い出した。