おだやかに晴れた土曜日。2月の11日、14日に続いて、また池に鳥を見にいく。 カモを見るまえに頭上で木を叩く音がした。コゲラだ (写真)。 その先の木にはツグミ (写真)。どこか憂いを含んだ表情に見える。
枯れヨシにとまって茎をつつくシジュウカラの写真はすでに何枚も載せたが、 よい構図で撮れたのでもう一枚 (写真)。
鳥にむかって餌を投げる人がいると、離れたところかも気配を察したカモたちが飛んでくる (写真)。
池のなかの足場にカワウがいる(写真)。 鳥のために置いてあるのか。頭がしろっぽいのはオスの婚姻色らしい。 同じ個体かは分からないけど、2週間あまり前の写真には、まだ白くなりかけの個体が写っている (前回の写真の右端)。 もう一羽がどこからか飛んできたので、あわせてカメラを振った (写真1、 写真2)。 ウは、鳥のなかでも恐竜の末裔っぽさが強く感じられる。
腰の故障は回復中。故障前と比べるとまだまだだが、最悪のころと比べればずいぶん自由に動ける。 池を見ながら周囲を歩いていてなんども段差や切り株につまづいたが、 何もなかったように歩き続けることができた。 故障の翌日につまづいたら、激痛にうめいたに違いない。 私の場合、歩いていてつまづくのはよくあることで、加齢とともにバランスの復元力が衰えると、 つまづきが致命的な怪我につながるのではないかと懸念されている。
ふと思い出したこと。高校生のころ、世界史の教材の世界地図があった。時代ごとに国の支配地域が色分けされている。 ページをめくると前のページよりも拡大する国あり、縮む国あり。 これだけ広大になったらもう揺るがないだろうと思う国が、あっさり消えてしまったりするのが不思議だった。 あるとき、畳の部屋でごろごろしていた時かと思うが、国というのは、畳にピンを挿してあいだに糸を張り、面を囲った ようなものではないかと思いついた。どうピンを挿そうと、あるいは糸でつなごうと、畳はずっとそこにある。 同じように、それぞれの土地で暮らしていている人の多くは、支配者が変わってもそこで暮らし続ける。 地図の色が変わるのは、住んでいる人が変わったのではなく、ピンが挿し直されただけのことではないか。 国なんてそんなものだろう、というのが高校の世界史で学んだ一番大きなことかもしれない。
片付けても片付けても、 やるべき仕事が減らない。 浜の真砂は尽きるとも…。 さはさりながら、明日の学会の会議のあと、月曜・火曜と私用で姿を消します。
春が近い。 月の始めには花だけだったフクジュソウ (写真)は、 しだいに葉がおいついてきた (写真)。
朝から東京へ。 駅まで10分ほどせっせと歩いてホームで電車を待つころには、 上体を支えてきた体幹の筋肉がつりそうな感じ。 下に置いたザックのなかの喉飴をさぐりながら背中を伸ばす。 こんなところでさりげない風を装うあたり、あいかわらず自意識過剰だ。 やがて来た電車の座席でしばし前屈してなおも背中を伸ばし、どうにかもちなおした。
「老人は兎角經驗といふ刄物を振りまはして、少壯者をおどしつける。なんでもかでも經驗に盲從させようとする。そして少壯者の意見を少しも採り上げないで、少し過失があると直ぐこれを押へつけて、老人自分が舞臺に出る。少壯者の敢爲果鋭の氣力がこれがために挫かれるし、又青年の進路はこれがために塞がつてしまう。」 「事業の進歩發達に最も害をするものは、青年の過失ではなくて、老人の跋扈である。」 『少壯と老成』 (伊庭貞剛 1904年)。気を付けよう。そんな年になってきたし。
腰痛は疲れる。上体を支えるのに体幹の筋肉をめいっぱい使っている感じ。 それでも、なるべく痛くない身体の動かし方を工夫するのはおもしろいし、 日々、痛まない範囲が少しずつ広がっていくのは楽しい。
聞き手と触れあうポスター発表のためには 10年以上前に載せた文章だが、今でも読んでくださる方がいるようだ。 この10年余りのあいだに一枚印刷のポスターの普及率がほぼ100%になるなど、状況の変化もあった。 時代に合わせて少し手を入れてみた。もちろんよい発表の基本は変わらないと思う。
週末に腰を痛めた。たぶん、いわゆる腰痛ではなくて足の付け根付近の筋肉の肉離れだと思う。 去年の5月にも同じように痛めた。掘りごたつに出たり入ったりするのに1分以上かかったり、 靴下を履くのに2,3分かかったり。ベッドに入るのも出るのも一苦労だ。 時が解決してくれるのを待つしかない。幸い、週の前半は外に出かける仕事がない。 おとなしくしていよう。
サンシュユの花芽がほころび始めた (写真)。
庭のフキの花茎(ふきのとう)が顔を出した。しばらく油断していたので、 少々伸びすぎてしまったものもある(写真)。 腰をいたわりつつ、あわてて収穫。40個ほどは採れたか。まずは天ぷらにしていただく。独特の苦味が春の味。
ようやくカトレヤが咲いた (写真)。 咲く少し前になると、それまで上を向いていたつぼみが横を向くことに気づいた (写真)。 小さな発見。
先月のこと、ある集まりに呼ばれて北九州の いのちのたび博物館に行ってきた。 小学生が白亜紀の魚の化石を見つけたことがきっかけとなって 1981年に 自然史博物館がオープンした。 その後、歴史博物館と統合されて北九州市立自然史・歴史博物館、 通称「いのちのたび博物館」となった。
化石の発見が発端となっているだけあって、化石の展示が充実している。 入り口を入ったところから細長く続くフロアに、古生代の生物から新生代へと 並べられた大型の化石の数々 (中生代の大型恐竜、 新生代の大型哺乳類)。 奥ほどフロアの幅を狭く、また床が高くなることで、遠近感が強調されている (写真)。 壁に映るシルエットも迫力がある(写真)。
数日前、午前中東京で会議があり、昼過ぎに戻ってきた。一度家に寄ったら、居間のサボテンの花が咲いていた (写真)。 日が当たったときだけ開くようだ。 昼間、家にいないことで、いろいろ損をしている気がする。記録のため、さっと写真を撮る。 ついでに去年買った小さなランの花も(写真)。 育種されていない原種のようだ。
去年の11月半ばに、カトレヤの花芽ができはじめたのを確認した (写真)。 あれから三ヶ月近く。まだ咲かないが、もうひと息というところまできた (写真)。全部で9つのつぼみ。 2月中に咲くだろうか?
11日の鳥見に味をしめ、また同じ池に行ってみた。よく晴れてはいるが、風が強くてたちまち凍える。 災いを転じて福となす。風で水面が波立つとき、逆光のアングルでは波頭がキラキラと光る。そこに鳥を重ねる構図で撮ってみた (コハクチョウと ヒドリガモ)。
シジュウカラと同様に、メジロも枯れたヨシの茎をつついていた (写真1、 写真2)。
先日はカワウは1羽しかいなかったが、今日は2羽。そこにもう1羽が飛んできた (写真)。 つごう3羽(写真)。 「うごうの衆」という言葉が頭に浮かんだが、あれは「烏合の衆」、カラスの群れのこと。鵜ではない。
ヒドリガモのつがい(写真)。 冬に飛んでくるカモ類は、春に北の地に渡ってから繁殖する。 なぜ越冬地でもつがいを作っているのか。 この現象はカモで多く見られるそうで、その理由がいろいろ考えられているらしい。 カモがつがいを作ったほうが有利な理由だけ考えても説明としては不十分で、 つがいを作らない種類と作る種類がある理由も考えないといけないだろう。むずかしそうだ。
以上、今日も鳥の観察日記でした。
穏やかに晴れた一日。家から車で10分余りのところにある池(乙戸沼)に行ってみた。
池では冬鳥がいろいろ見られた。 カモ類は4種類を確認。 一番多かったのはヒドリガモ (写真)。 飛んでいるところがきれい撮れた(写真)。 オナガガモはいつ見てもデザインがおしゃれだ (写真)。 ハシビロガモも見られた (写真)。 名前のとおり、くちばしがヘラ状にひろがっている (写真)。 なかなか顔を見せてくれなかったのはヨシガモ。 みな頭を羽のあいだに隠したまま遠くに浮かんでいた (写真)。 たまたま何かに驚いて顔を出したところを撮れた (写真)。
遠くのツグミにカメラを向けたちょうどその時、そばにいたもう一羽がこちらに向かって飛び始めた (写真)。
冬鳥ではないけど、シジュウカラは、枯れたヨシの茎をつついているのをはっきりと見られた (写真1、 写真2)。
おもしろかったのはオオバン (写真)。 バタバタバタと音を立てながら水面すれすれを飛んでいく。写真にとってみたら、水面を足で蹴りながら進んでいた (写真1、写真2)。 数歩走って飛びたつのではなく、何十歩も走り続けていた。 せっかく翼があるんだから飛べばいいのにと思うのだが。
ほかに見たのはアオサギ、カワウ、ハクセキレイ、セグロセキレイ、カワセミ、スズメ、それとバリケン (写真)。 バリケンは中南米原産で、家禽化したものを日本に入れたものが、各地で逃げ出したらしい。
きのう、池で撮った鳥の写真をもう少し。 水面近くを飛ぶアオサギにあわせてカメラを振ったら、ちょうど横にいたカワウの黒い影がぼやけて入った (写真)。 動と静が融けていくような絵だ。 もう一枚では、アオサギの黒い風切羽がはっきり捉えられた (写真)。 枯ヨシの中のシジュウカラももう一枚 (写真)。
カメラがきれいになり、うれしくて空を撮る (写真)。
公園の池の真ん中あたりの杭にカワウがじっと佇んでいた (写真)。 アオサギが水面近くを飛んでいった (写真)。 枯ヨシにはシジュウカラが来ていた (写真1、 写真2)。 茎を割って虫を探してるらしい。パキ、パキ、という音があちこちでしていた。
修理に出したデジカメ(Nikon D7100)が戻ってきた。 修理費は13,100円。安いコンパクトデジカメが買えそうだ。 受光面がきれいになったので、 朝の空を背景にたたずむハシブトガラスを撮ってみた (写真)。 よごれの有無は、空を広く撮るとよく分かる。 たしかにきれいだ。
一時的に復活した旧カメラ(Nikon D80) はふたたび控えの立場に。 レギュラーが怪我をすると一軍に呼ばれ、レギュラーが復活すると二軍に戻される選手のようで申し訳ない。 いないと困る、チームに必要だと言われながら、予備の存在であリ続けることに、自分で納得できるだろうか。> D80
フクジュソウは開きかけがまたよい (写真)。
庭のプランターのハボタンがぼろぼろになっている。ヒヨドリがつついたのではないかと思っていたところ、 本日、その現場を抑えることができた。 プランターに降り立ったところ (写真)、 つついているところ (写真)、 葉の切れ端をくわえているところ (写真)。 この季節、アブラナ科の葉が貴重な食料になっているようだ。
室内のシンビジウムはまだ凛としている (写真)。 オンシジウムは花盛り (写真)。ほのかに芳香を漂わせる。 障子を背景に逆光で撮ったら、水墨画のような雰囲気の絵になった (写真)。
この冬、もう風邪は引きたくない。 十分な睡眠、そして身体を冷やさないことを心がけてみよう。