庭のナツハゼが咲いている (写真)。 花の直径は5ミリもない。 ツツジ科の低木で、 コケモモ(写真)などと近縁。 花柄のつけ根の苞葉が一対の翼のように撮れている写真もある (写真)。
あと1月半ぐらいは綱渡りが続く予定。 5月はずいぶん写真を載せた気がするが、これも逃避行動だろうか。
職場の構内のコナラは花の時期が終わり、、受粉した雌花がドングリへと成長を始めた (写真。黒っぽく見えるのは雌しべの先端、 柱頭だったところ)。 といっても、まだほんの数ミリ程度。 このあと7月末には、お皿だけはほぼフルサイズになり (写真)、 8月末ともなれば、だいぶりっぱなドングリの形ができる (写真)。 ここまで来ても先端に柱頭の名残が見えている。 ほどなく完熟して茶色になり、地面に落ちたり、鳥に食べられたり、それぞれの運命を辿る。
写真を撮りためると、こんなふうに季節の変化を再構成することができる。
きのうの「様子」に弱気なことを書いたら、さっそく励ましのお便りをいただいた。 ありがたいことです。
あちこちでスイカズラが花盛り (写真)。古い花は薄茶色になる。 以前に花のアップを載せた (写真)。
ストレスのためかやや体調不良。やさしくしてください。エサは歓迎。
まったく意図せずにカメラのシャッターボタンを押してしまい、ふしぎな写真が撮れた (写真)。 場所はとある体育館のなか。レンズは何に向かっていたのだろうか。 あまりに幻想的なのでコンピュータの壁紙に設定した。
週末に、家の畑にサツマイモの苗を植えつけた。おもな野菜のうちで、自分で育てたことが ない野菜のひとつだった(残るは大根とゴボウ)。サツマイモの苗は、 葉のついた長さ30センチほどの茎の状態で売っている。 根は出ていない。こんなものをいきなり植えて活着するのかと不安になるが、 3日もするとしおれた葉がぴんとした。 節(せつ、葉が出るところ)から根が伸びだしたのだろう。 収穫は10月の末ごろか。管理職の任期も残り半年たらずになっているころだ。 イモと私に幸多かれと祈るばかり。
午前中は畑と庭の手入れに汗を流す。抜き取った雑草、収穫が終わった野菜、剪定した枝はみな 畑に埋めてしまう。半年もすれば跡形もなくなる。穴を掘っては埋める作業はかなり腰にくる。
今にも咲きそうにつぼみが膨らんだところで気をもたせていたオオヤマレンゲがようやく咲いた (写真)。中心の黄緑のところは雌しべが集まったもの、 そのまわりを多数の雄しべが囲っている。 センダンの紫の花も咲きはじめた (写真)。 好きな花だ。
ときどき意外が方がこのページをご覧になっていることが判明する。 それでも慌てることはない。 私は小心者なので、いつ、どこで、だれに読まれても困らないことしか書いていない。 なので毒のないページになってしまうのだが。 同じことを以前にも書いた (2005年4月2日の様子)。
職場の構内のユリノキ並木は花盛り (写真)。 花弁の長さが5センチぐらいはあると思うが、 木の上のほうで咲いているし、色も黄緑で目立たない。 大きさのわりに気が付かないという点では指折りの花だろう。 以前に、たまたま低いところ(といっても地上3メートルぐらい)で咲いていた 花をみつけて撮った (写真)。 北アメリカ原産だが、日本でも化石が見つかるという ( 参考ページ)。
昔は生えていたのなら、外来種だといって目くじらを立てることはないという考え方もありそうだが、 昔といっても数百万年前のことだ。今、日本列島で暮らしている生き物にとっては見知らぬ木だ。 どうせなら、まわりの生き物がびっくりしない (予期せずして望ましくない種間相互作用が生じない)ものを植えたほうがいいんではないか、 というのが在来種を優先する考え方の根拠のひとつだろう。
休んだしわ寄せは当然のように来るわけだが、まあなんとかなるでしょう。
筑波山の写真から、コクサギ (写真)。 この写真で見ると、中央の茎に対して葉が下下上上下下…という付き方をしている。 これをコクサギ型葉序と呼ぶ。ずっと昔、学生のころに教わった。 ほかにはサルスベリもこのタイプ。 コクサギの茎に葉がついているところをよく見ると、 2方向(茎の両側)ではなく最初は4方向にむかって葉柄が出ている (写真)。 基本は十字対生タイプなのだが、対生の向かい合った葉がずれて発生し、前後関係が生じる。 そのため、連続する二つの葉の開度は180度、90度、180度、270度(-90度)となる。 そのようなシュートを横にして、葉が平面上に展開すると、コクサギ型葉序ができあがる。
心の健康のために休みをとって筑波山に行った。 7時半過ぎに筑波山神社の拝殿 (写真)の横から登りはじめる。 コースタイム90分のところを写真を撮りながらゆっくりと2時間かけて登る。 山はまさに山笑う季節で、さまざまな新緑のモザイクだ (写真)。 林の下では ニリンソウ (写真)、 ホウチャクソウ (写真)などが咲いている。 朝日のなかで新緑がまぶしい。たとえばチドリノキ (写真)。 これでカエデの仲間だ。 葉が対生しているのでシデの仲間ではないと分かるが、一枚だけちぎった葉を見せられて チドリノキと分かる自信はない。
男体山の山頂の周囲をぐるっと回ってから同じコースで下山。 最後の写真は神社の随神門の彫物 (写真)。
帰路の途中で昼食にそばを食べ、午後から職場に戻った。 やはり山の中はいい。時々こういうことをしよう。
私はあきらかに過剰適応傾向がある。ついつい周囲の期待に応えようとしてしまう。 そして心の中に無理がたまる。この4年余り、そんな日々を続けてきた。 余暇の庭仕事や読書は、人の評価を気にする必要がないのでとても気が楽だ。 スポーツは、勝った負けたや上手い下手といった評価がつきまとい、それが ストレスにもなる(でも好きだからやるし、仕事のストレスが別のストレスで上書きされて 見えなくなるという効果もあるけど)。
あしたの午前中、心が折れてしまわないようにちょっと休むことにした。
庭のモッコクが新しい枝を伸ばしている (写真)。 クロロフィルがしっかりできる前のこんな色もよいものだ。
もうひとつ地味系。ツルウメモドキの花 (写真)。 直径5ミリほどの黄緑の花はまったく目立たないが、 秋に葉が落ちて橙色の実が残ったものは生け花に使われる。
自分の手と頭を動かして研究せず、 知ったかぶりをして専門分野外の研究を説明したり評価したりの日々を送っていると、 急速に研究者の感覚を失っていく気がする。 自分がやめたくて言うわけではないが(やめたいけど)、 こういう仕事は5年ぐらいを限度に交替するのがよさそうだ。
通勤の道沿いで、イネ科の植物がいろいろ花をつけている。イネ科の花は地味だが よく見ればおもしろい。コバンソウ (写真)は、 明治のころに地中海沿地方から観賞用に持ってきたものだという。 名前は「小判草」だが、 三葉虫にも似ている。三葉虫が鈴なりだと思って見ると、ちょっとすごい。 時間を飛び越えた連想の妙(三葉虫は被子植物が進化する前に絶滅している)。
週末に職場の構内でみつけた、これまた小さい小さい花 (写真)。 直径が2〜3ミリぐらいしかない。うっすらとした紫色が上品だ。 アカネ科で、ヨーロッパ原産のハナヤエムグラらしい。
老眼鏡がないと、大根のつまにのせたイカの刺し身が識別できないし、 アジの開きの骨と身がぼやけて識別できない。 スズメはたいしたもので、眼下数センチの土の上の種子やアリを見つけてつついている。 スズメが老眼になったらさぞ大変だろう。
天気のよい週末、仕事のあいまにカメラを持ってうろつく。 土手で咲いているヒメハギ(写真)は、 花の幅がせいぜい5ミリ余りぐらいか。 ここらへんにいるはずだと分かっていても、すぐには見つからない。 あまりに小さいので、手持ちではどうしてもピントが甘くなる。 もう一枚は林床のギンラン(写真)。
プログラム談義のついでに、 R でプログラミングのページに 指定した条件を満たす要素を置換する方法を書き加えてみた (2章)。 呪文的な書き方も、習うより慣れろだろうだか。
道路沿いの草地などでヘラオオバコの花が咲いている (写真)。 突き出しているのは雄しべ。ヨーロッパ原産で、江戸時代に入ってきたという。 フジの花も盛りだ (写真)。 林のあちこちにまぎれ込んで生えていることに、花の時期でないと気がつかない。
プログラミングの話題(3日)に コメントをいただいた。お一人は R 以外のプログラミング経験なし、 一括処理に戸惑いはなく、むしろ繰り返し処理のほうが戸惑うとのこと。 もうお一人は R 以前にBASICだの Perl だのの経験あり。 R らしくないと思いつつ繰り返し構文・要素逐次処理に走りがちだそうだ。 サンプル数が1ずつではあるけれど、やっぱりそうかという感じだ。
暖かい連休中に植物は一気に先に進んだ。 庭では、派手なものから地味なものまでさまざまな花が咲いている。 派手なのは、たとえばアヤメの仲間で中国原産のイチハツ (写真)。 花弁のうえでクモが待ち伏せしている(種類が分からず、クモとしか書けないのが残念)。 咲く前のつぼみは凛々しい (写真)。二つ目のつぼみの先端も見えている。 いっぽう地味なのは、たとえばニシキギの数ミリの花 (写真)。こんな花が咲いているのに気付くと 幸せを感じる。
管理職の残り任期カウントダウンは後ろ向きでよろしくないというご意見をいただいたこともあり、 しばらく控えていたが、お役御免になるのを諦めたかと思われるのも困るので、たまには カウントダウンさせてください。 あと331日。マラソンならば7キロと650メートル。地球の歴史でいうと あと9億年たらず。これから全球凍結があり、生物が一気に多様化するカンブリア爆発があり、 植物が陸地にあがり……と、まだまだこれからか。地球に例えるんじゃなかった。
プログラミングの話題です。
R でプログラムを書くとき、 データのかたまり(ベクトルとか行列とかデータフレームとか)を一括処理するのが R らしい書き方で、繰り返し構文で個々の要素を処理するのは R らしくないのだろう。 しかし、他の言語の経験がある人には 後者のスタイルのほうが処理の内容を実感しやすいと思う。 いっぽう、プログラミング経験がない人が R を勉強する場合、最初から R っぽい 書き方から入れば違和感なく習得できてしまうのか。それとも、結局は要素レベルでの 動作の説明が必要で、それなら繰り返し構文スタイルのほうが理解が早いのか。 どんなもんでしょう?
シダの葉が展開する様子を楽しんでいる。同じ種類でも、展開の段階とともに 姿が変わっていく。 オニヤブソテツのぜんまいは、最初は鱗片ばかりが目立っていた (写真)。 ぜんまいがほどけ始めると、みんなで頭を抱えているようだ (写真)。 ほどけ切る直前には天を仰いでいる (写真)。
庭のすみでシロバナタンポポが咲いていた (写真)。 イヌシデの新葉は葉脈が端正だ (写真)。
今日は日曜だというのに職場で非公式会議。 もはや会議が平日に入りきらずにあふれている。