庭に置いてある埴輪の複製は、前にも登場した (夜の姿、 雪の中でびっくり)。 今は置き場所を裏庭からリビングの前に移して、落葉のなかに佇んでいる (写真)。
ロウバイは甘い香りを漂わせている(写真)。 ドウダンツツジは葉を落とした姿もよい (写真)。
以上、今年最後の絵日記でした。来年はどんな一年になるだろうか。
来年早々(御用始めの前)が締め切りの仕事を片付ける年末。 そのほか、1月半ばが目処のいくつかの仕事に少し手をつけておく。
今年の写真の総目次に、10月から12月の分を加えた。 全部で444枚の写真を載せていた。 昨年分は443枚で、わずか一枚違い。まったくの偶然だ。
先日の西武ドームでの球審と並び、11月11日の追突事故と車の買い替えも、今年の個人的三大ニュースのひとつだ。 身体に異常がなくてよかった。後部が派手に凹んで雨も漏る車に乗り続けること一ヶ月半、 ようやく新しい車が届いた。丸14年以上お世話になった車は廃車となった。このペースでいくと、 次の買い替えは70歳前後。おそらくそれが生涯最後の購入となるだろう。感慨深い。
池澤夏樹個人編集の 「日本文学全集」(河出書房)が 配本されはじめた。 古典の現代語訳の訳者がなんだかすごい。どれも読んでみたくなる。
庭にときおりメジロが来る (写真)。
木々は支度をすませて来春を待っている。 サンシュユはどっさり花芽をつけている (写真)。咲いたらさぞ美しいだろう。 はるか昔、高校の通学路にサンシュユがあったのを思い出す。 なぜそれがサンシュユだと知ったのかは分からないが。
(北半球の)冬至点は、本日の午前8時3分。 その時点で南中となる地点から見た時の太陽の南中高度が、一年でもっとも低くなる瞬間だ。 冬至(の日)は冬至点を含む日。日長が一番短い日だが、微分の符号がマイナスからプラスに変わる日でもある。
この「様子」には、本質的なことはほとんど何も書いていない(私の日常に「本質的なこと」 などあるのかということはさておき)。それでも、過去の「様子」を見てすっかり忘れていたことを 思い出したり、見ても思い出せないあれこれに驚いたりということがあっておもしろい。 2013-01-03の様子に書かれている揚げパンの夢など、まったく覚えていなかった。
あとで思い出すために記録しておくべきことひとつ。 知り合いから依頼されて、西武ドームでとある草野球大会の決勝の球審をつとめた。 電光掲示板に PL (Plate umpire) 竹中の文字が表示されていた (写真)。 試合開始前、場内アナウンスによる先発選手の紹介に続き、審判の名前も呼ばれた 夢中の一時間半。よい思い出ができた。 今年の個人的3大ニュースのひとつと言えるだろう。
更新が一週間も空いてしまった。 重めの仕事がひとつ終了して気が楽になったところ。
底冷えのする居間がランのおかげで明るくなる。 10月につぼみが姿をあらわしたシンビジウム(写真)は、 ようやく花がひとつ開き始めた (写真、 アップ)。 オンシジウムも咲いた (写真、 アップ)。 咲いているのを買ってきたのと違い、我が家で誘導された花芽が咲いたと思うと感慨もひとしお。
いつのことだったか覚えていないぐらい前に、パイナップル科の air plant を買った。 根を伸ばさず、葉から吸収した水だけで育つ。 昼は気孔を閉じて水の蒸発を防ぐ CAM 植物だ。 最初2回ほど花をつけたあと、数年間は動きがなかった。 半年ほど前から肥料をやったり昼は陽に当てたりと世話をしてやったら、どんどん葉が増え、 とうとう花芽をつけた (12月6日、 12月13日)。 こたえてくれて嬉しいこと。 どんな花だったかも忘れているが、咲くのが楽しみだ。
週のはじめに、 「今週はいろいろ盛りだくさんだが、なんとかなるだろう。命にかかわることはないはず」と書いた。 もちろん自然となんとかなったりはしない。なんとかする努力は必要だ。 そして疲れ気味。
デスクトップの壁紙に使えそうな写真をまとめてみた(> 壁紙写真集)。 知ったかぶりで喋るプレゼン資料との格闘中にふとこんな写真を見ると、 ちょっとは心が休まる。
「さびしがりやで、ちょっぴりドジな」という設定で愛すべきキャラクターを造形するというのは、 口にするのも恥ずかしいぐらいマンネリなパターンだ。あからさまにこんな設定を出してきたとしたら、 オリジナリティは一切なしという開き直りか、さもなければパロディ狙いだろう。 「さびしがりやで、ちょっぴりドジな」アラ還おじさんならパロディとして成り立つだろうか…。 建物のキーを居室に忘れて外に出て戻れなくなるという失敗を一ヶ月足らずのうちに2回繰り返し、そんなことを考えた。 キーが入ったザックごと部屋に忘れて家に帰ろうとしたのはけっこうショック。
畑に勝手に生えていたシソは9月ごろに花を咲かせていた (写真)。 今は、種子を散らせたあとの果穂がカサカサと立っている (写真)。
居間のランたちの近況。 3月に買ったカトレア(写真)は今シーズンも花をつけるか気を揉んでいたが、 11月半ばに花芽を確認した(写真)。 カトレアと同じ頃、今年の3月に買ったデンドロビウム(写真)は、さらに3週間余りも 気を揉ませた末、ようやく花芽ができはじめたようだ (写真)。 オンシジウムのつぼみはずいぶん膨らんだ (写真)。 年内には咲きそうだ。
今週はいろいろ盛りだくさんだが、なんとかなるだろう。命にかかわることはないはず。
早朝の空で朝日を受ける雲(写真)。 太陽が地平線に近いときは、横ないし斜め下からの光を受けた雲が見られる。 レンズ越しに雲を見ると、心が地上から離れて天空に遊ぶ心地がする。 ズームで寄ればなおのこと(写真)。
そして地上に戻ると、各種締め切りが待ち受けている。観念して静かに向きあう。
おとといのジョウビタキの写真を改めて見直すと、ナツツバキの樹肌の明るい茶色の部分が ジョウビタキの腹と同じ色で統一感があるなかで、背中と顔の黒がアクセントとなっている (写真)。おしゃれなデザインだ。
しばらく前から、ときおりジョウビタキをみかける。ナツツバキの枝にとまったところ (写真)。 とっさのことでピントが甘いが、寒い朝の雰囲気はなんとなく出ている。 大陸から渡ってきて日本で越冬する。
色付いたメタセコイアの樹冠のなかにメジロがいた (写真)。
知識を問うクイズなどに正解できない時に、「ちょっとむずかしかったでしょうか」 というようなフォローのコメントがつくことがある。知識なら、知っていれば答えられるし、 知らなければ答えられない(ないしは当てずっぽうを答える)だけのこと。 むずかしいとかやさしいとかいう種類のことではない。 強いて言うなら「一般的ではない知識を求める問題だったでしょうか」というぐらいだろう。 「むずかしい漢字」となると、一般的には使われていない漢字 and/or 画数が多い漢字、というイメージか。 これも書き方を知っていれば書けるし、知らなければ書けない。おもしろいのは、読めるけど書けない字が多いこと。 人の顔を見ればだれだか分かるけれど、似顔絵を描けといわれてもなかなか書けないのと似ている気がする。
分かることのうち自分で再現できるのはごく一部、という現象には進化的な背景があるかもしれない。 周囲の状況の判別は進化のかなり初期から適応的で、少なくとも数億年の歴史がありそうだが、 状況の特徴を再現して他者に情報を伝達するという能力が出現したのは、 ほんとうにごくごく最近、せいぜい数十万年程度のことではないか。