| Top page |    [ 前月← →翌月 ]    | 様子の目次 |

2018年 1月

2018-01-30

池の端の芝生で餌をついばんでいたヒドリガモたちが、そばを人が通ったときにいっせいに飛び立った (写真)。 なんだかよく分からないけど動きにあふれた絵が撮れた。

人が撒いた餌に集まってきたユリカモメ( 写真1写真2)。 これも動きのある絵だ。飛んできて氷に着地するときは、横方向の動きがない状態でストンと降りないと 当然すべってしまう。見ていると、対地速度をほぼゼロにして着地していた (写真1写真2)。 みごとなものだ。

凍った水面をあるくハクセキレイ (写真) 駐車場など、開けた平坦地を歩くのが好きらしいセキレイにとって、凍った池はぴったりの場所かもしれない。

車を運転しながら、数理っぽい問題を考えていた。 自分の研究とは関係がないが、ちょっとおもしろい問題なので少し前から頭の隅においてあって 時々考えている。 交差点で信号待ちをし、走りはじめてルームミラーを見ると、後続の車は止まったままだ。 私が100メートルぐらい進んでからようやく走り始めた。 私が赤でスタートしたのか、 後続の車が信号が変わったのに気づいていなかったのか。 頭のなかには問題を考えるための画像があり、そのとき信号がどうだったか、まったく思い出せない。 私の信号無視であればなんとも危ないことだ。 2車線の2台とも止まっていたので、そちらの可能性が高そうだ。 反省し、今後に活かすために書き留めておく。 意識が運転から逸れてしまう漫然運転防止のために コメンタリー運転 という方法があるそうだ。「青信号」「歩行者確認」など、声を出しながら確認する。 声を出さないまでも、口のなかでつぶやいてみようか。

2018-01-27

先日、東京の最低気温がマイナス4度を記録し、48年ぶりの冷え込みだと話題になった。 いっぽうつくばでは、この1月だけで最低気温がマイナス4度以下になった日が16日と、半分以上だ。 一番冷えたのは1月13日のマイナス 6.8度。つくばは東京より寒いのだと改めて認識した。 ところで、東京でこれまでに観測された最低気温の記録は1876年1月のマイナス9.2度。 東京で公式に気温が測定されはじめたのは1875年で、その翌年だ。 なお、その年の8月の最高気温は 35.6度。本当か。

土曜の朝、乙戸沼も水面の8割がたが凍っていた (写真)。 氷の上のコハクチョウたち (写真)。 ハクチョウの足は黒く、がっしりとしている (写真)。 なぜか羽繕いをしているハクチョウが多い (写真)。

27日の夜の月 (写真)。 月齢は約 10.5日で、ぺったりと明るくて凹凸がみえない満月よりもたのしい。

2018-01-23

つくばでは、22日昼からの雪は積算降水量 9 mm、最大積雪深 15 cm だった。 23日の朝は、朝日を浴びてどんどん雪が融けていった。 まだ樹上に雪が残っている様子を写真にとどめる (写真)。

職場の構内にいるノウサギの足跡 (写真1写真2)。 実物を目にするのはまれだが、雪が積もると必ず足跡が見つかり、 いつも身近にいることが分かる。

池の氷の上をセグロセキレイが歩き回っていた (写真1写真2)。

2018-01-21

当面の課題がひとつ終了。少し気が楽になった。

一週間余り前の朝、池のそばを歩いたときに、こちらの気配に気づいて水面からカルガモが飛びたった。 静かに待っていたら、氷の上を歩いてしだいにこちらに戻ってきて、氷の縁でどうしようか 逡巡していた (写真)。 その後、またこちらの気配に気づき、歩いて遠ざかっていった (写真)。 あまり警戒させると悪いので、早々に立ち去った。

乙戸沼の縁にいたバン (写真)。 水の中を覗き込み、やがて飛び込んだ (写真)。

用があって、千住にある帝京科学大学に行った。7号館という新しい建物に入ったら、 階段がなかなかよかった (写真)。 曲がり角に丸みをもたせた木目調の樹脂の手すりと、それを支える直線的な黒いスチールの組み合わせ。 踏み板を支えているササラ桁からは、踏み板が少し張り出している (写真)。 踏み板と踏み板の間の蹴込みは 金属のメッシュで、この張り出し部分は裏打ちがなく透けている。 階数表示も階段の見どころのひとつだ。この階段では、惑星の大きな写真の真ん中に 階数を表示している (2階3階)。

2018-01-15

一年以上前に撮った鳥の写真を詳しい人に見てもらったら、オオハシシギとのこと (写真)。 先日のミコアイサの時と同様に即答だった。日本には冬に渡ってくるが、その数は少ないとのこと。 そうとは知らずにレアものを撮ったようだ。

年齢のわりに髪は黒いほうだが、 一生懸命白髪を探さなくても、あちこちにキラリと一筋光るものが見つかるようになってきた。 しだいに全体が白くなっていくのだろうか。 これまで自分で髪を染めたり脱色したりしたことがないので、 赤ん坊のころに髪が生えてきた時以来、人生2回めの大きな頭髪の変化だ。 それはそれで楽しみと思うことにしよう。

つくば駅前唯一の書店リブロは、 クレオ専門店街閉店の後もキュート2階で営業を続けることになったようだ ( リブロ 「つくばクレオ店」 売場移転のお知らせ)。 まずはよかった。次に気になるのは、どのぐらいの売り場面積になるかだ。

2018-01-13

夕陽を受ける牛久大仏(写真)。10キロ余り 離れているが、建物の屋上からはっきり見える。

頭上でヘリの音がしたのでとっさに撮った。あとでよく見ると、ドクターヘリと書かれていた (写真)。尾部にテイルローターがなく、 ノーターという装置で、プロペラを回す反動で機体が回ってしまうのを防ぐタイプだ。 振動が少なく、ドクターヘリや報道用によく使われるのだそうだ。

夕陽でほのかに赤く照らされながら飛ぶコサギ (写真1写真2写真3写真4) かっこいいものだ。

そして夕陽は富士山のやや北に沈んでいく (写真1, 写真2)。 夕焼けはみるみるうちに様相が変わり暗くなっていく。いつもながら無常を感じる時だ。

2018-01-10

先週末に撮った水鳥で種類が分からなかったものを詳しい人に見てもらったら、 ミコアイサと即答だった(写真)。 ミコアイサは、パンダガモと俗称される白と黒の模様のみ頭にあったが ( 画像検索)、あれは繁殖期の雄のみに見られる姿なのだった。 いつか見てみたい種類だったのに、こんな形での出会いとなるとは。

職場の構内の木立でみかけたメジロ (写真) とモズ (写真)。

ヤマノイモの仲間、オニドコロの実 (写真)。 三次元軍配という感じだ。もう種子は飛んでしまったあとかもしれない。 どこか寂しげな情緒を感じる。

2018-01-07

池の鳥の写真をもう三枚。飛んできて着水したヒドリガモ (写真)。 緑の翼鏡が見えている。 氷の上のユリカモメたち (写真)。 そして水面を疾走するオオバン (写真)。 池の端でだれかが餌をやり始めると、こんな勢いで走ってくる。 この姿はついつい撮りたくなる。

夢の中で、人と食事をしながら酒を飲んだ。 次の場面で、人里離れた夜の一本道で車を運転していた。 運転しながら前の場面を思い出し、これは酒気帯び運転ではないか、まずい、 と思った。夢の中でも前の場面を覚えているというのがおもしろい気がするが、 本当にそういう順序で2つの場面の夢を見たのか、 それとも運転しながらその前に酒を飲んだ記憶がよみがえる、と言う場面の夢を見たのか、 区別のしようがないな。 夢にかぎらず、自分の頭のなかを客観視するのはむずかしい。

2018-01-06

家の居間で育てているエアプランツが3年前にはじめて咲いたとき、花序は1つだった (写真)。 それが今年は10個(写真)。 ずいぶん育ったものだ。 多肉の Haworthiaも静かに育っている(写真1写真2)。 地味に見えるが、多肉の葉の上面は葉緑体がなく透けているので、逆光で見るとなかなか美しい (写真1写真2)。

乙戸沼にコハクチョウが来ていた (写真)。 奥の2羽は翼の下に嘴をはさんで休んでいる。 同じく乙戸沼で撮った、沼の上を飛ぶコガモ (写真1写真2)。 もう一枚、池の端に着陸する寸前の様子 (写真)。 どことなくユーモラスだ。

字の下手さには自信がある。そうは言ってもご謙遜、というレベルではない。 就職のときに提出した手書きの履歴書を、字が汚い、書き直せと突き返されたと言えば 信用してもらえるだろうか。その時は、一文字書くのに数秒かけて、 丁寧に書こうとしている気持ちだけは伝わるようにして切り抜けた。 字を書くことは苦痛でしかなかく、 もし思ったことが手を動かさなくても字になるならそれが理想だと思っていた。 それが、最近は少し変わってきた。 2年足らず前、ちょっとよいボールペンを使いはじめ、さらにいくつかきっかけが重なって、 1年足らず前から万年筆でノートにいろいろメモしている。 紙と万年筆とインクという道具とのふれあいに楽しさを感じる。 この歳になって知る大人の楽しみ。 5,000円以下の安いものを何本か買って試したなかで、一番安い1,000円のものがなかなかの書き心地だ (kakuno)。 子供が最初に出会う万年筆というコンセプトで開発されたそうだ。 もちろん子供だましという意味ではない。

2018-01-04

10年ぐらいにわたって風邪を引かず、そのあとたてつづけに数回引いた。 そこで深く反省し、免疫力を保つように心がけはじめてそろそろ3年になる。 免疫力を保つと行っても、単に体を冷やさないように気をつけただけなのだが、 それから一度も風邪を引いていない。はたして効果があったのか。

どのような生物でも、個体数は時間とともに変化するのがふつうだ。 何世代、何十世代と個体数が安定しているとしたら、 環境が許容するぎりぎりの数の個体が生存している可能性が高い。 子供が多く産まれても生きていけない、だれかが死んで隙間ができたら新しい個体が暮らしていける、 という状態だ。 人間の社会でも、みなが生きるか死ぬかのかつかつの状態でないかぎり、 総人口が一定に調整される理由はない。 「かつかつ」はあまりハッピーな状態ではなさそうなので、そのような安定を目指すのではなく、 人口が変化するのを前提に、世の中がハッピーな状態であり続ける工夫をすることが肝要だ、 などと正月に布団の中で考えた。当たり前のことではあるが。

ついでに世界の人口密度を調べてみると、フィンランドとノルウェーは、どちらも面積が日本と同程度で 人口は1/20 ほど、すなわち人口密度も 1/20 だ。 また、カナダとオーストラリアの人口密度は日本の 1/100。

2018-01-03

素数年だった2017年が明けて今年は2018年。2018 = 2 * 1009 で、1009は素数だ。 次の素数年は2027年、さらにその2年後の2029年も素数年で、2027と2029は双子素数だ。 楽しみなことだ。

戌年なので、イヌの写真はあるかなと考えたら、20年あまり前のシベリアでの写真を載せてあったのを 思い出した (賢いベータ)。

去年の年明けの「様子」 ( 2017年1月4日)を見ると、同じようなことしか書いてないな。 素数年がどうしたこうしたと、干支にちなんだ写真と。 冬休みにやったことも去年と変わらない。 今回は特に書庫の片付けに時間を使った。あとは衣類の整理。着られるけど着ないものは 不要品だ。着られるかどうかを考えず、いま着る気になるかを自分に問うて、 あまり着たくないなというものは不要品と断じた。


| Top page |    [ 前月← →翌月 ]    | 様子の目次 |