年末・年始のあいだにコンピューターに計算しておいて欲しいことがいくつかあり、 プログラムを仕込む。まちがって設定で始めてしまうと、 足かけ2年の計算が無駄になってがっかりするわけで、ここは慎重に。
このところ焦って失敗することが多い。なんとなく浮き足立っている感じがある。 来年は「焦らず、じっくりと」をテーマにするか。
庭のロウバイの花が開いた (写真)。 スイセンによく似た香りが漂う。 早く咲くというよりは、葉が散る頃になってようやく咲くというべきか。 まだ葉は落ち切っていない。
28日のアキニレのシルエット の補足で、枝に実がついている様子を近くから撮ってみた (写真)。 木全体ではいったいどれほども数の実がついていることか。
今年の庭ではヒメシャラもたくさん花をつけた。今は口を開いた実が残っている (写真)。
今年が始まるころは、2011年は素数年、なんとなく気分がよいなどと書いていた (1月3日の「様子」)。 まだ管理職の身だったが、3月いっぱいで年季が明けることを 楽しみに過ごす日々だった。そして3月11日に楽しい気分は吹き飛んだ。 いろいろと立て直すうちに4月を迎えた。解放感があるにはあったが、 手放しで喜ぶ気分ではなかった。 そのあともずっと震災・原発事故が常に視野に入ってくる日々だった。 来年はどんな年になるだろうか。
朝、明るくなってきた空を背景に浮き上がる庭のアキニレのシルエット (写真)。葉はすでに散っているが、 密についた実が残っている(秋の実の様子)。 毎年1メートル以上も枝が伸び、適当な大きさに管理するのが大変だが、 庭の中心になっている木だ。 夏には クワガタ や スズメバチが来る。 いまどきはヒヨドリやハトがよくとまっている (12月20日のヒヨドリの写真)。
このところ、うっかりミスが多くて皆さんにご迷惑をおかけしている。 けさはダブルブッキングが発覚して叫び、床に転がって頭を抱え、大の字に寝て放心し、落ち込んだ。 以前、とある楽観的かつ多忙な人に、ダブルブッキングすることはないですかと聞いたら、 ダブルブッキングは普通にある、このあいだはトリプルブッキングしてしまったと 言って堂々としていた。 見習いたい。いや、見習いたくないな。
庭の手入れをしていて、勝手に生えたサネカズラがひとつだけ実をつけているのを みつけた(写真)。 マツブサ科。シキミ科といっしょにされることもある。 単子葉類と真性双子葉類が分岐するより前に分かれた、原始的な被子植物の一員だ。
サンシュユの樹肌がめくれて、太陽の光を受けると美しい (写真)。
庭木によく使われる木は、それなりの理由があるのだなと最近思う。 丈夫で、成長が早すぎず、自然と樹形が整いやすいものが適している。 ふつうは庭に使われない木を植えると、予想外に苦労することがある。 とくに育ちすぎるのが大変だ。庭のアキニレを見上げながら、どこをどう切ったものかと悩む。 例えるなら、垂直の岩壁を前にして登攀ルートを探すも自分の技術では歯がたちそうもない、 といった感じか。
学会で聞いた研究の中身は覚えているが、発表していた人の顔や名前、 性別すらも覚えていないことはごく普通にある。 つい先日、とある客人に、 数年前にポスター発表をしたときに私が聞きに来て質問したと言われた。 その人の顔も名前もまったく記憶していなかったが、 発表のおよその内容や、私がどんな質問をしたかは思い出した。 不思議なものだ。プロの将棋指しが、駒の配置を見て いつの誰との対局の盤面だか思い出せるのと似ているか。
今朝のつくばの最低気温は7時前の -4.6度。こんな朝の冷気の中で、 ヒヨドリは心なしか羽根をふくらませているようだ (写真)。 マイナス10度近くまで冷えても、35度を越える夏の暑さの中でも、 衣服も冷暖房もなしで過ごす生き物はすごいと改めて思う。
久しぶりに、まとまったプログラムをゼロから書きつつある。 表現したいことがけっこう複雑なので、オブジェクト指向で設計する。 C++ でもよいが、データの読み書きのお手軽さや、 あとで少しずつ改変しながら使うことを考えるとスクリプト系で Perl か Rubyか。Ruby のほうが自然にオブジェクト指向できるが、 まずは使い慣れた Perl で書いてみる。 プログラミングはいいねぇ。頭を使うし、書いたものを人が使ってくれれば やりがいも感じられるし、老後の楽しみにもぴったり。
冬至の前後は、つくばから見ると太陽が富士山のすぐそばに沈む (写真)。 一方、南東の地平線に浮かんで見えるのは牛久大仏 (写真)。 高さ120メートルで 世界一だそうだが、正確には 「世界一の大きさのブロンズ(青銅)製仏像」ということらしい。
庭のツルウメモドキの葉がすっかり落ちて、あとには実だけが残っている (写真)。
同じく庭のジューンベリーの枝に、バッタのたぐいが突き刺されているのを見つけた (写真)。 モズの早贄(はやにえ)だろう。 もうバッタの季節ではないだろうから、 前からあったのに気がつかなかったのか。 そういえば、しばらく前、モズがときおり庭に来ていた。
朝、ゆっくりできる休日は、ふだんとは違う陽の当たり方をしている庭が見られる。 裏庭は、朝と夕方の限られた時間に横から光が入る。それを受けてイロハモミジが輝く (写真)。
先日、伊豆で撮ったクリハラン(写真)。 ランといってもシダの仲間で、逆光で丸いソーラス(胞子嚢の集まり)が浮かび上がっている。 葉がクリに似ているというのでクリハラン (全体像)。 筑波実験植物園でクリの木の根元に植わっているのを思い出す (以前の「様子」)。
上でリンクしている以前の「様子」のところに 「自分は舌先三寸でその場その場をしのいでいるだけだと思い、いやになる」 という一文があり、今さらながらどきっとする。
昨夜は月食。天体写真はまったく経験がなく、きれいな写真は望むべくもないが、 記録の意味でコンデジで撮ってみた (写真)。 月食の開始は日本どこでも同じ時刻と書かれているページを見て、 そう言われればそうなるよなと改めて認識した。月に地球の陰が映るのを遠くから 見ているのだから、どこから見たって欠け具合は同じなのは当然だ。 ただし厳密には、地球上のどこから見るかによって月の見えている部分は わずかに違う。したがって、そこに地球の陰がかかり始める時刻もわずかに違うはずだ。 とは言っても、そもそも地球の陰の輪郭はぼやけているので、 目で見て検出できるような時間差ではないだろうが。
職場の構内のイロハモミジは、葉をすべて落としたものもあれば、 まだ紅葉がきれいなものもある。葉を落とした個体では、プロペラ型の実だけが残っていた (写真)。
人前で話をするときの投影資料に貼り込む写真は、自分で撮ったものを使うようにしている。 写真を撮るときに、これはこんな場面で使えるなと思いながら撮ることも多い。 シダの系統関係の話をするときに自前の写真がなくて悔しい思いをしていたのがマツバラン。 マツバランは葉がなく、根とおぼしきものも本当の根ではなくて地下茎に仮根がついたものだとされている。 根も葉もない植物。 最近、とある温室内でようやく撮影できた (写真)。 これで維管束植物の系統樹 (図) の主要グループが一通り揃った。 江戸時代にはマツバランの園芸品種がたくさん作られていたという。 枝分かれのようすや斑の入り方が芸。なんと渋い趣味であることか。
人につくばの整形外科医を紹介するメールを書くときに、 私はこんな時にお世話になったと過去の例を書いてみたら、 足首のねんざ、膝関節の損傷、ふくらはぎの肉離れ、四十肩、ぎっくり腰、 膝および肱の滑液包炎と、ずいぶんあるので今さらながらびっくり。 整形外科以外の医者にかかったケガもあるな。グラウンドの土手に埋まっていたコンクリの塊に 膝をぶつけてできた裂傷(傷の中に白いものが見えた。骨か?)を外科で縫ったとか、 ボールを眼にぶつけて眼科にかかったとか(今なお視野の一部が欠けたまま)。 多くの場合は時が解決するに任せているし(肋骨にヒビが入ったときなど)。 さすがに生傷が絶えないやつと評されるだけのことはあると自信を深めた。
季節は晩秋から初冬へ。落葉樹は、葉をすべて落としてしまったものもあれば、 まだ色付いた葉で全身を装っているものもある。クヌギは落葉が遅い。 ところどころに緑を残した葉が枝にしがみついている (写真)。
私の日常は、仕事、家事、スポーツ、その他の趣味など、 各種の活動に割く時間がかなりの緊張感を持ってせめぎあっている。 どれかが圧倒的な優先権を持っているわけではなく、 それなりの平衡状態を保っているが、 このところ領域侵犯も頻発している。 スケジュール管理がやや楽観的にすぎるか。